私と義弟はあまり親しくない。お互い嫌いあっているわけでもないのだが、あたりさわりない会話すらあまりないと言っていい。妹が言うには、義弟は人見知りで、そして少々コミュ障なのだという。義理の兄弟たる私に「どう接していいかわからない」のだそうだ。他人と関係性を上手く築けないときに「どう接していいかわからない」という言葉が出てくるのはよくあることだが、このケースに関してはものすごく納得がいった。
准コミュ障……というか、先天的にコミュ障だったけれど、後に社会に揉まれたことによってそれが改善された方は、お分かりいただける方が多いのではないか。
コミュ障解決の方法のひとつとして、キャラを演じる、というのがある。コミュニケーションが得意な人を見て、その人のやり方を真似るのだ。もちろんコミュ障ではない人だって多かれ少なかれそのように対人コミュニケーション方法を学ぶものではあるが、コミュ障の人はその傾向が顕著なのではないかと思う。何故なら、自分のなかに最善のコミュニケーション方法のストックが極端に少ないから。
といってもこの方法は万能でない。シチュエーションや相手によって、最適なキャラクターというのは異なるからだ。そういうわけで、准コミュ障の私はたくさんキャラクターを用意している。それらはもう自分と交わって一部になっている部分もあるけれど確かに存在する。対後輩用のキャラ、お年寄り用、異性用タイプ1、異性用タイプ2など。成長するうちにコミュ障が改善されていったのは、そのストックが増えていったからだ。
しかし、このストックにないような人物が現れたらどうか。途端にどんなふうに接していいかわからなくなる。昔の自分が顔をだし、顔色を伺うような態度になる。どんなキャラでいこうか。明るくふるまう?落ち着いたほうがよい?自己主張の割合はどうしよう。など。つまり彼も同じような状況だったのではないかと思ったのだ。
誰とでも同じ態度で接することができる人を見ると感心してしまう。もちろん目上の人には礼儀正しく、年下の人には頼もしく、程度の違いはあるのだろうけど、キャラの根幹がブレないのは素晴らしい。とてもうらやましく思う。
まあ多分普通の人も多かれ少なかれそうだよねーとは思うんだけども、そのキャラのブレが激しいと思う。人の人格を参考にコミュ障改善した人は。たとえばバイトと学校で全然正確違うやんけ!みたいね、というのが言いたかった。そしてそういった思惑がなんもなく、等身大で接していける人は羨ましい魅力的だなあと思ったのだ。以上。