無駄な文系コンプレックスをこじらせている人ほど、文系学部が必要ないと言い出す。
そして、その多くの「自称文系」は、文系としてもダメなことが多い。
確かに理系学部は、実社会における工学的な技術の基礎になっていて、実用的な印象になっているのは否めない。
けれど、それってその人が無能だから役に立ってないというだけで、文系学問の手法が役に立たないというわけではない。
という考え方を基礎としている。
実験において大切なのは再現性である。同じ手順、同じ環境を元にすれば、同じ結果が得られるということが大切だ。
しかし、歴史であったり、社会的な問題、また文学に関しては、あまり再現性を前提とすることが出来ない。まず同じ環境を準備することが不可能であるのは間違いない。
では、文系学問においては何をするのか。基本的には、以下のような手順を取る。
もちろん、全ての文系学問がそうではないが、このような経路を辿ることが多いように感じる。
重要なのは、「一次資料を照らし合わせ、その資料の正しさも検討し、それぞれの議論を検討した上で、妥当な結論を下す」といった作業だ。
だから、別にコミュニケーション能力とか、そういうのが重要ではない。
今は一次資料よりも二次資料(二次創作物)の先行研究を資料として挙げてるのが多いですね。 例えば、ある先行研究があってそれに対してある学者が甲であると主張するのに対して他の...