一つアドバイス。
世の中のおよその悩みや怒りというのは、自分の心持ち次第でどうでもよいことになると、思うんです。
例えば、「気持ちを理解してもらえない!」
と憤ったりするのは、理解してもらえて当然、という前提を心の中に持ってるからです。
と怒るわけです。
まあ、怒るほうが馬鹿です。
相手が何を考えてるかなんて、わかんないんです。
説明なしでわかるんだったら、言葉なんて進化の過程で獲得すると思いますか?
まして他人。
無理に決まってるでしょ?
「○○されて当然」
という前提条件を自分の中にもっていないかを考える。
「(敬われて当然なのに)、無礼な態度をとられた。」
「(評価されて当然なのに)、褒めてくれない。」
などなど。
これらの悩みの前提条件というのは、相手の問題や現実の問題でなく、自分の中の問題です。
いろいろ考えるから、悩んだり苦しんだり怒ったりしてるだけで、実は全く悩む必要なんかない。
「真冬に着るものがない、凍死する」という悩みや、「食べるものがない、飢えて死ぬ」という悩みとはぜんぜん重大さが違うのですね。
なにかを他人に伝えるとき、必要なのは適切な説明であって、いかに感情を込めるかではないということ。
人は感情が昂っている時に、その勢いで話をすると、ただ語気を強くしがちです。
でも、同じ内容を強く言ったところで、相手に伝わる情報量としてはまったく同じです。
怒るということは、感情に任せて何か言うということは、自分が馬鹿であると宣伝するようなものでしょう?
カッコ悪いと思いませんか?
常に冷静でいることが、自分の心の健康のためでもあり、周りのためでもあり、自分の名誉のためでもあるわけです。
三つ目のアドバイス。
こういう気持ちにさせられたから、相手が悪い、ということは言わないほうがいい。
自分の感情をベースにあっちが悪い、こっちが正しい、と論じるのは、幼稚に思われる。
自分の感情しだいで、善悪を分けるということは、自分は常に正しいと言ってるように聞こえるから。
四つ目のアドバイス。
「他人に裁かれることは嫌いな一方、他人を裁くことが好きな性格」のように思われないようにしたほうがいい。
誰しも、そういう一面はある。
ただ、感情のままに書くと、そういう一面が強調される。
以上です。
自分の名誉のために、この日記は封印したほうがいいと思います。
手厳しいことを言って申し訳ない。
心持ち次第だから!っていう人はバカだよね理解できないなら心持ち次第で済む問題か理解できないのにね 理解してもらえない!と嘆いてるのかな?理解した!と叫んでるクソカスゴミ...