文系だからよくわからないけど、人間のスペック?というか思考や内面性をパソコンに置き換えてみると、
だとして、
成長=アップデート
だとしてみる。
日頃の仕事や他者とのコミュニケーションは、ソフトウェアである知識やスキルによって処理するが、人生における重大な決断やソフトウェアのアップデートや運用はOSである人格による。そして、業務上のスキル不足や人間関係での悩みなどは、現在のソフトウェアで対応出来ない事由と考えて、これまでの人生の蓄積であるOSの指令によって個々にソフトがアップデートされていく。って感じのイメージ。
この流れで考えると、人間的に成長する=OSのアップデート なのではないかと考えた。
では、いつOSのアップデートが行われるのか、というと、やはり自分の中にある既存の価値観や行動原理では処理出来ない問題にブチ当たった時ではないかと思う。そこでの、既存のOSで対処出来ない問題に立ち向かっている状態っていうのは、日常的な言葉で表すと、葛藤であり新たな経験なのではないだろうか。つまり、当たり前のことだが、OSの更新をするには葛藤を乗り越えたり、新たな経験をしなければいけない。個人的な例えだと、部活を辞めるかどうかの悩みであったり、進学時の仮面浪人云々のいざこざだったように思う。
で、ここでタイトルに戻るのだが、僕は最近、これ以上人間的に成長しないだろうなぁと思うのだ。つまり、僕のOSはこれ以上アップデートされないのではないかと思うのだ。
なぜなら、これからぶつかってくるであろう諸問題は、手持ちのソフトの更新で対応出来るものであろうし、先を見据えてもOSが動作不能に陥る状態が(順調に行けば)起こるとはあまり思えなくて、既存のもので対応出来そうだからだ。あったとしても、小規模なものな気がする。これから色々辛いことがあると思うけど、もう今までにかなり辛酸をなめてきたから、どうにかなるような気がするんだ。
まあ、ちょうど成人ということで、人間が出来てきたなぁとおこがましいながら実感するが、幼い時に感じていた、将来どんな大人になってるんだろうかっていうドキドキ感がなくなったのはさみしい気もする。
その比喩を導入した意味は何かあったのか? 無駄に話をややこしくしただけじゃないのか?