BLOGOSの以下の記事を読んでいて、イケダハヤト氏のつまんない文章をさらにくそつまんなくした文章だなぁ、と思いながらも結局最後まで読んでしまい軽く後悔したところで、筆者を見たらやっぱりイケダハヤト氏で、妙な安心感に包まれた。
http://blogos.com/article/77294/
「グリーン車」ツイート炎上に思う:途上国化する日本と、生きにくい人たち
で、いったい何を言ってるんでしょうか?
イケダハヤト氏は。
引用:「ぼくは期待値を低くして生きている人間なので、お金を払うときには「この値段分の対価が、必ず得られる」と期待しません。
これから日本が衰退していけば「お金を払ったけど、それに見合ったサービスが提供されない」というシーンは、ますます増えていくと思うのです。非常時にかぎらず、日常においても、そういうアクシデントが頻発するようになるでしょう。わかりやすくいえば、「途上国化する」といってもいいかもしれません。
それこそ「グリーン車乗ったら、北斗の拳の雑魚キャラのような若者たちが席を独占していた」「指定席の座席に座ろうとしたら、ウンコまみれだった」みたいな。これが少しずつ、日常になっていくのがこれからの未来です。」
この場合、「グリーン車に乗れる」というのは乗客とJRとの間で結ばれた契約です。
グリーン車が空いているのにも関わらずグリーン車に乗ってない人は、お金を払わない代わりにグリーン車に乗らないという選択をしたということです。
もし死ぬほどツラいのであれば、グリーン車に乗る契約を対価を払ってすればいいのです。
イケダハヤト氏は上記の記事で「ぼくは期待値を低くして生きている人間なので、お金を払うときには「この値段分の対価が、必ず得られる」と期待しません」と述べていますが、
この場合「私は契約が守られなくても構いません」と言っているのと同じです。
日本が衰退し発展途上国化すると書かれていますが、現在契約が守られるので日本は発展途上国ではないのです。
だから簡単に契約を諦めないでください。権利は放棄しても良いものだとは思いますが、契約は守られなければないないものです。
イケダハヤト氏の文章を読むと新幹線の自分の席にたどり着いたとき、おばあさんが座っていたらそのおばあさんに自分の席だと主張することが怖いだけであったり、周りの目を気にしたりすることを自分が諦めれば、我慢すればうまくいく。それは発展途上国化していく世の中だから仕方ない、自己防衛だから、と私は感じてしまいます。
誰かのためを思ってに権利を放棄することは大切だけど、この文章からはそんなものは感じられず、ただただ諦めとか弱さを正当化してるだけだなぁ、と。
あ、自分の指定席が北斗の拳の雑魚キャラに占領されていたり、ウンコまみれだったら、JRに対して、「空けさせろ」とか「ウンコで汚いから綺麗な席を用意しろ」と主張すべきですよ。自分と契約を結んでるのはJRなのだから。
その子が嫌いならもう放って置くのが一番ですよ。 こんな所で取り上げたらまたその子のことを知る人が増えてしまうんですよ。 その子が言ってる事がおかしいことなんてあなたが解説...
これもイケダハヤトの宣伝なんですかねえ。 まあそれを承知で乗っかるとして。 ビジネスのトレンドっぽいワードを絡めてまったく的外れなことを書いて炎上する、と言うのがこの人...
ビジネスのトレンドっぽいワードを絡めてまったく的外れなことを書いて炎上する、と言うのがこの人の芸のようですが、別によっぽど好きか暇でもないかぎり読む必要はないかとおも...
腕に包帯、目に眼帯、「邪炎」とかつぶやいてる人を友達にはしたくないけど クラスメイトだからどうしても視界に入っちゃう、みたいな感覚をいつまでも私に届けてくれる… 彼はそう...