いまさらだけど風立ちぬを見ていろいろ思ったので感想。ネタバレあります。
自分が映画を見る前に、菜穂子に対する二郎の態度が酷すぎる、という話を友人がしていたので、映画を見たらそれについて考えようと思っていた。
実際に見て思ったのはもうしょうがないじゃん、と。二郎が人の気持ちを理解できなかったり、美しいサバの骨にしか興味を持てなかったりする人間だということはどう菜穂子や他の人間が頑張ったって変えられる部分じゃない。他の人に対して二郎はサバの骨以上の興味は持てないだろうと。そういう二郎のことを好きになってしまった菜穂子はああやって自分から寄り添っていくしかなくて、二郎に対して自分に寄り添うことを求めるのは二郎には無理なことだし、むしろそういうことができる二郎というのは二郎でないと思う。サバの骨にしか興味がなくて、弱った恋人の肺よりも自分の集中力のためのタバコを選んでしまうような二郎と、そんな人間を好きになってしまった菜穂子の関係はあれ以上どうしようもないと思った。
友人は菜穂子のためを思うなら仕事の合間に高原病院まで通うなり仕事を減らすなりできるだろう、と言っていたが、そういうことができないのが二郎だし、それが嫌なら菜穂子はさっさと二郎に見切りをつけるのがある意味一番幸せになる方法なんだと思う。それができない菜穂子にはああやって耐えるしかなかった。そういう二郎を好きになっちゃったんだからもうしょうがないよね。
友人の二郎に対する要求は、一般的にはそうあるべきなんだろうけど、二郎という人間にはお門違いだろうと思う。菜穂子の命が危ないときには駆けつけてくれたけれど、長期間飛行機を放り出して菜穂子に寄り添うことなんてできないだろうし、そもそも二郎には飛行機よりも菜穂子を優先することはできないと思う。二郎は数十年かけて飛行機のことは考えてきたけれど、人の気持ちなんて考えたことがないはずだから。
あと、菜穂子というキャラクターについて触れると、彼女は夢を追いかけていたい男の隣にいて欲しいと男が考える理想の女で、とても都合のよい女だと思った。振り返ってみれば菜穂子は病気で亡くなってしまってかわいそうだけど二郎のそばで過ごすことができて幸せだったよね、ってなるんだけど、その幸せだよねというところにも、命を削ってでも恋人の近くにいたいと思ってしまう献身的でかわいそうな美しい女性という理想像が透けて見える気がする。ジブリ作品に出てくる女性が、男性が考える理想の女性であるというような考えは聞いたことがあったけれど、風立ちぬを見てああこういうことかと納得した。中身も見せられず二郎がただただ天才だと褒められているばかりで天才だと見せられているという趣旨の感想を他で見かけたけれど、自分にとっては二郎が天才であるという描写を繰り返される以上に、菜穂子が美しく強いイデアのような女性であることを見せられるほうが、製作してる側のこう見せたいという意図が感じられるような気がして嫌だった。
映画の登場人物、キャラクターとしては好きなんだけどね、菜穂子も二郎も。透けているのが嫌なだけで。