2013-09-03

マジョリティであること(京大disです)

もう何年も昔の話になるけど、京大に落ちて早稲田入学することになり、大阪から上京した。

そこでつくづく感じたのは、マジョリティであることの心地よさだ。

大阪出身で、京阪沿線で、オリックスファンで(正しくは阪急ファンだけど)、ベース弾きの俺は、

どこか「メジャー」というもの馬鹿にして、斜に構えていた。

けど、大学でできた友人と接してて感じたんだけど、彼らはなんか自然体なんだよね。無理してないってゆうか・・・

そこそこ勉強ができて、そこそこ努力して、早稲田受かりました。まあ、普通の人ならそうするよね、だからそうしました。みたいな。

で、大学先生とか、バイト先の社員みたいな周りの大人も、そこそこ勉強ができて、そこそこ努力したら、そらまー早稲田入るわなー。みたいな。

自分の選択に対する理由を説明する必要がない、というのかな。

阪神ではなくオリックスを応援するのも、ギターではなくベースを弾くのも、ゲームボーイではなくゲームギアを買うのも、

特急中書島にとまるのも、「なんで?」って問われてきた、周りからも、自分自身でも。

でも、そんなん理由なんてないわ!知るか、ボケ

それがない、というのは、本当に楽。

で、高校生のみなさん、落ちたからいうわけですが、京大、つーのはあんまりおすすめしません。東大にしとけ!まじで。で、落ちたら慶應いけ!

同様の理由で、筑波もやめとけ!、近所の国立にしときなさい!

大学入って、ずっと「俺がこの大学に”敢えて”入ったのは・・・」ってのは、ほんま不健康やし。

せっかく大学に入ったのなら、「大学を選んだ理由」なんてしょーもないことではなく、もっと自分自身に問うべき問いがあるはずやろ?

なんてことを言いたいわけでは全然なく、俺は今の嫁と大学出会いました、ワセジョです。ほんと大好き、愛してる。もうすぐ子供が生まれます

うれしすぎる。皆さんに幸せが訪れることを祈ってます

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