なんつうかこう、自分の土俵に乗った瞬間、判定が辛くなる人が偶にいる。
発達障害もかくやというエロゲのヒロイン全般や、池沼としか思えない主人公が許容できるのに、百合作品となると許せない。
お笑い中心の共通ルートから、突然シリアス()になる個別ルート。
明らかに、お涙事件の都合のためだけに、突然歪みだす日常については、名作だと許容できるのに、百合作品では些末なことが気にかかる。
それ自体は別に良い。
シリーズの名を冠しさえしなければ佳作、なんてのは山のようにある。
にも拘らず、百合、レズ、ゲイ、ホモ、などのセクマイが絡んだ批評の大概がおかしくなるのは、「差別や偏見の単語を交えて批評する」からだ。
面白かった、つまらなかった、佳作、駄作だけでは大抵終わらない。
・妄想
・セクマイ
などの言葉で彩られることになる。
こうなってしまうともうだめ。
その人が、なんらかの表現を許せなかっただけなのか、作品が詰まらなかったのか、判断ができない。
しかし、こういう人は得てして、「名作ならまだしも駄作であり、その上~」と繋ぐ。
口上の上では、ゲームの価値判断と、セクマイへの偏見に対する憤りは、分けていますよーというのだ。
アホか。
分けられるわけないだろ
この作品は詰まらなかった、その上○○が許せないという論評は、大概においてその○○こそが元凶である。