世の中には、手軽で身近な感動という商品が溢れかえっている。
親子の絆を深める感動の1日自然体験だとか、
「感動作ってます、感動したくありませんか?」
サービス業も口をそろえて感動感動言いおる。
そりゃあもう、一杯感動してきた。
胸打たれて泣いてしまうこともあった。
でも全部、他人事じゃねーか。
何かに全力で取り組んでる相手に対し、
その表面だけ便乗して、その苦労を共有した気になって、
「感動しました」「力をもらいました」って。
「夢を託す」?
「子供が●●するのが夢です」?
カッコよく自分を肯定してるだけじゃねーか。
子供が夢を追おうとするだろうか。
他人に手軽で身近な感動を見つけ出して、
満足しているだけじゃないか。
魂を削りながら、心から血を流しながら、
本気で向き合い、全力でぶつかり、
何かに夢中に取り組んだ結果、
気づいたら涙が流れてて、笑顔が溢れてて、
仲間と抱き合って、ハイタッチして…
それが感動なんじゃねーの。
本当の感動なんじゃねーの。
感心していい気分になることもあるだろう。
本当の感動はその時まで取っておきたい。
自分はまるっきり逆である。 仕事帰りにフラッと寄った商店街で、知人の子供が自転車乗る練習してるだけで どこが琴線に来たのか感動してウルウルしちゃった。 感動の押し売りは...
超運が良いスーパー勝ち組を除いて、人生捨てずに子育てするとか無理だから。無茶言うな。