「財産など」が正のものだけとは限るまいに。
「財産など」には田舎の土地・しがらみ・人間関係や社会的責任、風俗風習などの文化その他諸々もあり、増田が受け継がないと「誰か」が困る、ということがリアルにある場合もあるよね。
増田が構わなくても、迷惑を被る「誰か」は構うだろうな、と。
まあ、横だけど、オレは次男で、受け継ぐような財産なんぞないようなどーでもよい家の一員だけど、それでもささやかながらあるそういう諸々を子どもの頃から引き受けてた自分の兄貴に対しては、尊敬し感謝してるがなあ。
封建主義どうこうと言うけどさ、それこそ封建制の権化のような「村八分」でさえ、『冠婚葬祭』は別扱いなんだよね。普段は一切つきあいを断っている「村八分」相手であっても、冠婚葬祭のときだけは、きちんと手伝いなどをする。まあ昔は今と違って冠婚葬祭に人手が必要だったのと、きちんとそれができないと「人」と見なされない(檀家により寺に所属することが事実上「戸籍」の意味合いをもった)事情もあったんだろうけど、それ以上に『冠婚葬祭』のつきあいは人として最低限の社会的義務という認識があり、それは個人的な感情(怒り、憎悪、妬み…etc)より優先されるという感覚があったからだと思うんだ。
その感覚は、たぶん今でも残っているね。じいちゃんの葬式に出ない長男をもったことで、増田の母ちゃんはそういう「我が子に人として最低限の認識をもたせる教育にも失敗した親」というレッテルを貼られてしまったわけなんだ。「分かってる」という増田は、今後どんな親孝行をしてそれを償うつもりなんかね?そういうことをほんとに「分かってる」のかどうか、若干心配になるのだけれども。
というか理由や信念があるから行かないというより「行かない」こと自体を目的にしてるというか 社会的規範や慣習といったものを破ることに快感を求めるタイプなんじゃないかと思う ...