どんなに人権を守りたくても、生存権ばかりは、国の財政が傾いていたらできない。
やるんだったら、人権どうのこうのの前に、少子化対策と、経済対策をなんとかしないとどうにもならない。
国際社会なので、大企業やお金持ちほど、国を選べる。法人税の安い国ほど工場がどんどん立って、経済に活気が出ている。
人件費、人件費いわれているけど、今のハイテク産業が日本に来ない理由のNo1は法人税。法人税7%の国と、法人税40%の国があって、
法人税40%の国で工場を作ろうと思う奴はレアだよねぇ。ちなみに中国は外資の優遇税制で15%ぐらい。
だから、工場は外国、売るのは日本という図式になって、消費ばかりで産業がなく、失業率が上がっちゃう。
だから、諸外国が日本に工場を作らない。日本企業ですら海外工場で生産しちゃう。
今の日本企業は、外資に参入されないようにバリアー バリアー また、バリアーの鎖国政策で、企業誘致と言っても国内企業の誘致合戦。
他の国なんかは、国レベルで企業の誘致合戦をしているのに・・・。
消費者金融から借りる人の大半が「ある男」氏のように「計画的なご利用」ができる人が大半だったら、そもそも改正貸金業法なんかいらなかったのにな。
今回の法律は本来マーケットに任せとくべきところ、あまりにあまりなケースが多すぎたんで、国が介入するのもやむを得なかったのかなあ、と思うけど、それって今後たくさんの「ある男」がホームレスになるってことだよなあ。その将来のホームレス氏達のかなりの部分は、これまで「計画的にご利用」できなかった一部の人の犠牲者ってことになっちゃうのかなあ。
だから、絶望していないで皆が人権を大事にするように啓蒙活動していくべき。しないと何も変わらない。
言ってることはそのとおりだと思うよ。でもってこれまでの話だったら、そういう啓蒙から何かが生まれたかもしれない。
ただこれからの話となると元増田の悲観や20100716020031の人の諦念の方が正確な認識だと思うよ。
今高齢者率は23%くらいだけど、元増田が年金受給する頃の2045年だと38%くらい。実際に問題になる「生産年齢人口100人で老年人口何人を支えるか」ってやつを見る老年人口指数だと今36人くらいなのが2045年には72人くらい。今でも高齢化で財政とかきつくなってきてるのにその2倍とか、啓蒙活動で意識を高めたところでどうにかなる話じゃないと思うよ。もう物理的にリソースが全然足りない。今の赤ん坊とかになっちゃうと更に凄まじくて、老年人口指数85とかの時代に老人やってくことになる。下手すると20歳から60歳まで全部束にしても65歳以上の老人より人口少ないとか、それってどんな社会だよ、まともな高齢者福祉が成り立つわけねーだろ、って話さね。
別にその責任は特定の誰かにあるわけじゃなくて、もちろん元増田なんかには何の責任もないんだけど、どうしようもないものはどうしようもない、ってことで。
(あえて責任を言えば20年以上も前に無茶苦茶な高齢化社会が来るという予測が固まって学者なんかはさんざん警告してたのに、それに耳をふさいで年金賦課方式なんかを続けてきた過去20年の政治家/マスコミ/有権者が悪いんだが、賦課方式やめて現在の老人にちゃんと相応の損をさせていたところで、いずれ超高齢化社会が来るのは変わらないわけで、破綻がちょっと先延ばしできるだけの焼け石に水・・・)
140字以内のpostを全部拾うbotならそのままの名前で存在しているんだぜ
ただタイトルを拾わないのでタイトルから続いてるものは意味不明だし、
昔話をしようかとおもう。
改正貸金業法は色々あるけど、年収の1/3を越えて貸し付けてはいけないっていうのが一番大きい。
しかもこれ合算。まあ、普通に考えたらそうだろう。良い事だと思う。
さて、これから書く話は、もう出来ない。改正される前の貸金業法に関わる話だからだ。
特定は色々と面倒だし迷惑かけそうなのでぼかして書く。ある男から聞いた話風に書こうと思う。
工場勤めで寮住まい。手取り15万ちょい。娯楽はネットとはいえ、たまに飲みにでてれば金は貯まらない。
運が良かったのは、クビになったのが夏だったことだ。
どうすれば良いか途方に暮れた。さほど危機感がなかったのは、貯金が10万はあったからだ。
しかし、家は借りられない。友達は少なく、迷惑はかけられない。故郷には帰れない。
男はそのとき知らなかったが、親族に頼れずいったん貯金をなくすと、人はすぐホームレスになるそうだ。
今なら判るが、探し方が悪かったのもあるんだろう。見つからなかった。
金はすぐ底をつく。正確には、底をつきそうになった。
男はすごく怖くなった。
二度と抜け出せないんじゃないか。
たまたまだった。
借りられるはずはなかったが、借りられたらいいなと思ってアパートを見ていた。
びっくりする家賃のアパートがあった。ぼろいのに130万円。なんだこれ。
4畳半が2つ。トイレバス別。二階建て。テラスハウスとあった。
いくら二階建てでも築30年オーバーでそりゃないだろと思って目を疑った。
売り物なのだこの家。たった130万円で。
もちろん今の自分からは望むべくも無い金額だが、それでも家だ。
いくつかのサイトを見て、一着しか持っていなかったスーツをクリーニングに出した。
床屋に行った。
そして、消費者金融に行った。免許を持っていたのは運が良かった。
一カ所あたり10万〜15万貸してくれた。全部で40万くらいになった。
その金を元手に、漫画喫茶に本格的に居着くことにした。
スーパーのバイトを見つけて、その男はその男なりに懸命に働いた。
一カ所あたり1万円〜3万円の返済日。
30万に減っていた所持金から、返済。また幾日か立ち、やっとバイト代が5万入った。
うまくいくかは判らなかったが、ここで25万になった。
うまくいくという根拠のない自信だけが心の支えだった。
所持金が5万になったところで、さらに借りに行ってみた。
「限度額を引き上げませんか?まじめに返していただけているようですし」
あの頃は本当に甘かったのだ。半年経っていないのに。
常に限界まで借りて、毎月一定額で返し続ける。
そして、一年経ったところで、やっと達成できた。
完済まで5年かかった。
バイトも何度かクビになったり、店が無くなったりもした。
それでも、帰る家があることは大きな支えになった。
本当に大きな支えになった。
日本は豊かだ。
節約すれば、毎日シャワーを浴びて自炊をしたところで、食費に電気ガス水道で4万くらいだ。
生きていくのに、家があればたいした苦労はない。
ほんとうに。
家が無くなるのは嫌だったので、税金もまじめに払った。今も払っている。
立て替えは出来ない。立て直しも出来ない。
それでも、家があるだけで全く違うのだ。
これである男の話はおしまいだ。
消費者金融を礼賛する気も、借りづらい家を非難する気もない。
ずいぶん多く払った気がする。もちろん、助かったから文句はない。
結構怖い人だったが、色々教えてくれた不動産屋のおっちゃんにもずいぶん助けてもらった。
いまあの男がこうしてあるのは、いろんな偶然や運があったからだと思う。
それでも年収100万以下だったある男に、無謀な金額を貸し付ける金貸しが居たからだというのは事実だ。
その男には出来なかったが、家族が居る人は、親戚が居る人は、仲直りをして頼れるようにしておくべきだ。
他の先進国に比べて人権無視、死刑大賛成の野蛮人たちで成り立っている国家なんだから政府が福祉が疎かにしているのは当然だろう。
2:8の法則の意味はよく言われるように、「物事の重要な8割は全体の2割の中に凝縮されている」という経験則だ。
ここから転じて、ライフハック本などでは「重要な2割を押さえて、8割をモノにしよう」というテクニックやアドバイスなどが紹介されている。
一見、素晴らしい法則のように見えるが、裏を返すと「些細な残り2割をモノにするためには、全体の8割を押さえなければならない」ということだ。
これは、完璧や頂上を目指す者にとって大きな壁となって立ちはだかる。
いわゆるスランプもこれで、説明できる。
標高1000mの山に登ろうとした時の速度で考えてみよう。
2:8の原則がなかった場合、1000mを等速度で移動するから、変化はなし。このときの移動速度を100とする。
2:8の原則に従うと、最初の800mは通常の4倍の速さ(400)で移動できる。しかし、残り200mの地点まで着た途端、今度は逆に通常の1/4倍速(25)になってしまう。
体感速度は400から25へと、1/16になるのである。
颯爽と流れていた風景が、いきなり1/16で流れ始めるのである。
試しに自分の持っている音楽や動画を1/16で再生してみるといい(そもそも、1/16で再生できるプレイヤーなんてあるのか?)
これが、スランプの正体だ。
「努力しているのに、結果に表れない」とは「今までと同じ速度で走っているのに、風景が全然変わらない」ということだ。
普通の人と一流になる人の違いは、この1/16の風景に最後まで耐えられるか否かである。
普通の人は諦めてしまう。
「800mは過ぎたし、もう十分頑張った。これ以上やってもコストパフォーマンスが悪いだけ」
一流になる人は諦めない。
「この先に必ず頂上がある。ゆっくりでも確実に進んでいる。今は耐える時だ」
誤解しないでほしいのは、決して一般の人が悪いと言っているわけではないということ。
プロ野球の選手の多くは、僅かな粘性を持った流体中の球体の振舞いを表す微分方程式を解くことはできないだろうが、バッターラインから打たれたボールを確実に取ることはできるだろうし、物理学科の大学教授はその逆だろう。
すべての人があらゆる事の専門家になることは不可能だし、それが自然の姿だ。
それだけの覚悟が必要ということだ。
そだね。僕たちには、幸せな老後はやってこないかも知れないね。
一時期は、姥捨て山ってのもあったわけで。僕たちも最悪は、年金でない、福祉ない。子供には頼れない。一切れのパンが買えなくて、高齢ホームレス。
せめて、温かいところで、眠りたい、布団で眠りたいと思いながら死んでいくのかも知れない。それは、結構な人に訪れうるこの国の未来。
最悪のケースではそれはもう、個人の努力ではどうにもならない、政治の失策というケースで訪れる。それはもう、どうにもならないよ。
どんなに貯金しても、ハイパーインフレが起きたら、水の泡。10倍のインフレが起きただけで、貯金は1/10
みんなの党が言っているような、1.04%の物価上昇で、給料1.5ばいならいいけど、65歳過ぎて、働けなくなったら、インフレで貯金の価値が10年で1/1.5倍。
どんなに貯金してても、俺らの貯金じゃ、何年生きられることか・・・年金もなくなってるかも知れないしね。80歳支給(笑とか?
つーわけで、僕らの老後という意味では、どんなにがんばっても、餓死する可能性は誰にでもあります。
だけど、もう、それは、交通事故で死ぬようなもので、個人の頑張りとか、もう、関係ないです。交通事故を恐れて外出しないみたいなもんです。
ほんとうに老後になって、餓死するときに、あぁ、美味しい物を食べておけばよかったと思っても、もう、どうにもなりません。
今日を明日を、ちゃんと1日1日大切に生きていくしかありません。
未来のことを考えて、暗い気持ちになっても、明るい気持ちになっても、未来はどうせ暗いですwww。
あきらめて、考えるのをやめましょうw。
明日は、おいしいもの食べよう、何食べよう。嫁にうまいもの作ってもらおう。とでも、考えておいたほうがいいですよ。
一生懸命考えたら、未来が好転するなら、寝ないで考えますけどw。いや、どうせ、未来は暗いですって。
じゃぁ、明るく生きられるうちは、明るく生きておきましょうよ。せっかくです、無理のない範囲で、楽しんでおきましょう。
私が会社を辞めた理由は、同僚の女の子の一言がきっかけだった。
「育児休暇とれるのに、利用しないなんて勿体ないよね。休暇終わったら辞めちゃおうかな。」
私が居た会社は結構大手企業の子会社で、福利厚生はかなり立派だった。
制度自体はすばらしいと思うし、これが社員が出産するきっかけになればいいと思っていた。
元々その女の子は「利用できるものは利用しなきゃ損」というスタンスの子で、
銀行員の彼との結婚から出産まで、見事とも言える段取りとステップで同僚から一歩抜きん出ていた。
たまに強欲ともとれる言動があることもあり、私は正直すぎる彼女をちょっと苦手に思っていた。
友人主催のイベントに彼女も招かれていたので久しぶりに会って少し話した。
利用できるものは何でも利用しなきゃ。
暇なときは友達のお店でアルバイトしてたりしたんだよ。
会社に戻る気ないんだよねー。
育児休暇取れるから辞めなかったんだ。
そういった内容の話を得意げにしていたと思う。
何のために会社で働いているんだろう、そう思った。
当時私は人一倍稼いでいたし、グループ内では稼ぎ頭のほうだった。
一人がどれくらい稼がないといけないか、そういうことを考えながらやっていた。
私はこの子を食わすために働いているのか、と、その時漠然とそう思った。
会社ってそういうものなのだ。
勿論育児休暇をとるのにまわりに恐縮する必要なんてないし、
堂々と子育てをしてほしいと思う。
ただ、副業禁止の会社で、休暇前から就業時間中にアルバイト先のチラシを作り、
制度を利用した後は辞めると公言されて、さすがにあきれてしまった。
現場に復帰して欲しいが故の休暇じゃないのだろうか。
ただ、せめてそういうことは黙っておいてほしかった。
ああ、やっぱり会社ってそういうものなのか。
利用した方が勝ちなのだ。
こんばんは
いやまぁ、いいけどさ。金がないにも程度があって
お金が無いから、野原で遊べるものに遊びがなって、野球道具は道具の数が多いから、ボール1個でできるサッカーが選ばれる。みたいな話でしょ。
楽観しろとか、楽しめというのが言い過ぎだとしても、悲観することにもまた違うでしょ?
とんでもない、高級住宅地 政治家とか芸能人とか、社長とかが住んでる地域のハズレで繁華街との境目に、公園があってサクラが咲いてるんだけど、
春にそこをとおると、みんなでお花見してるんだよね。シートしいて。あれ、どう考えても、お金かかってない。
お金がなければ、なにもできない?確かに、お金があると楽しい物も多いけど、たとえば美術品。
お金が無いと美術館に入れない?いや、上野の地獄の門とか屋外展示で無料。屋外展示の美術品って無料で楽しめるものが多いんだよね。
そもそも、美術展って1000円とか2000円だし。 何十億も出して、絵を買わなくても、数千円で眺められる。下手すりゃ無料。いい国だと思うんだけどなぁ。
図書館に行けば、本も無料で読める。無料で貸出もしてもらえる。
だが、金があったって難しいのに、金がない状態で無理に探してどうなる。
金がなくても大丈夫とはいわんけど、
それが結果としてお前の息子娘を幸せにする。
お前の人生で培ったしあわせは、他人に分ける必要はない。
しかし、息子娘に幸せになってもらいたい気持ちは譲れないだろう。
だから同じ道を歩ませろ。
すなわち医者が最強なのだ。
僕は頂に登った。
お前はどうだ。登って来い。待っているぞ。
嫌なところっていうか「嫌らしい」ところかな。
俺の彼女が顕著なんだけど、
絶対にそう思ってないのにわざと自分を卑下するんだよ。
「わたし、可愛くないから・・・」
「わたし、暗いから・・・」
「わたし、太ってるから・・・」
とかそういうことをいかにも気にしてますよ風にぼそっと言う。
でも、実際はそう思ってない。
なんとなく励ましてほしいけど特に理由が無いときに使ってない。
こういう時は必ず「そんなことないよ~」って否定してあげないといけない。
最初から甘えてくりゃいいのに、って思うんだけどな~。
AKBのクジやってませんか?って言えばいいんじゃね?
お店の人は元増田を見て、
(こんな普通の人がキモヲタ向けのキャンペーンなんて興味あるはずないよね!クジ出すの失礼だからやめとこ…)
って思ったに違いないよ。
もちょっとキモヲタっぽくして行くといいかも!
そうしたら
(あ、いかにもなキモヲタが来た…やっぱり、会計金額超狙ってる…!(笑))「…クジですよね!さあ、どうぞ!」
って言ってもらえる。
全体の状況
仕事の種類は3種類。
1.人に教える仕事
2,接客系の仕事
3,事務仕事
・優先順位は1>2>3
・1と2が多い人の方が顧客から人気がある(=仕事ができる)とみなされる。
・事務作業は、個人で進められるものと、グループ単位でやる必要がある(=全体としての意思決定が必要)ものがある。
・グループは5~8名。全員フルタイムではない。新人も数名いる。
・事務仕事はそれなりの量がある(一人では終わらない)
自分の状況
・1,2の仕事はさほど忙しくない
・新人でもないので、過去の経験から必要な事務作業もわかるので、3を進める努力をする
・進めていることや、引き継いでほしいことをノートに書いているが、
進まないだけでなく、状況すら理解されていないことにイライラ。
なんでイライラするかの分析表
・いくら忙しいっていっても、勤務時間の全てが1,2で埋まってる人は、ほとんどいないはずなのに、
引き継いだ事務作業が一切進んでいない
・事務作業は、30分あれば進めることができるのに、どうしてそういう働き方ができないのか(他のグループにはやってる人がいるのに)
・仮に忙しすぎて、全く時間がないとしても、何をしなきゃいけないのか、何をしているのかはノートに書いてあるのだから、
状況の理解くらいしてくれても良いと思うのに、それすらされていない。
なんでイライラするかの分析裏
・結局自分は1と2の仕事で忙しいわけではない=仕事ができない人なんだといういじけ
・3の仕事は自分がほとんどまわしてるはずなのに、誰も褒めてくれないこと。
・自分は1,2の仕事が忙しいときも、少しの空きがあれば事務仕事やるのに、どうして他の人はやってくれないのか。
・文句をいいたいけど、仕事ができない人ができる人に文句を言って良いわけがない。
結論
日本でモノが売れない時代になってきた。
・車が売れない
・大きなテレビが売れない
・でかい家電が売れない
どれもこれも若者の〇〇離れと聞かれるものばかりだ。
これらはもっと安くなれば売れるだろうか?
答えはノーだろう。
これらは僕らの生活を変えてくれる、という希望に乏しいからだ。
昔は車がなければ、女の子を誘えずどこにもいけなかった。
今は電車やバスでも、多少の不便があれどどこかに行けないことはない。
レンタカーを借りても良い。
とにかく車がほしい、所有したいとは思わない。
所有欲よりも先に
車を持つことの負担の高さへの不安が大きい。
だから車を所有することは僕らの生活をより良いものに変えるどころか
たくさんの税金やガソリン台、駐車場代を取られる搾取のイメージが先にくるのだ。
大きなテレビだってそうだ。
むしろテレビもいらない。
NHK代も払わなくてよくなるし、面白くない番組やCMを見せられることもない。
テレビを所有することは、金と時間と部屋のスペースを搾取されていることにほかならない。
そして、趣味趣向が多様化している世の中でテレビの話題が飛び交うのは
ワールドカップくらいか。
僕らがほしいものはなんだろう?
僕らの生活をより良いものに変えてくれるもの。
またはそう予見できるもの。
ワクワクするもの。
さらにその先、僕らはなんで欲しいのだろう? という疑問。
おそらく。
おそらくは、誰かとつながることのできる、触媒としてのモノが欲しいのだろう。
例え自動車という名前・工業製品でも、現代では触媒機能が違うのだ。
触媒としての機能を失ったものは、より触媒に適したものにとって変わるのだろう。
誰かとつながることがより直接的になるようなプロダクト。
それが期待されているようでならない