2023-01-26

キスマイ横尾くんの結婚に寄せて

リアコじゃなくても何故アイドル結婚したらモヤっとするのか?自分なりの結論が出たので、書きとめておく。

これは私のオタクスタンスに基づく考えなので、すべての人がこれにあてはまるわけではないと思うが、「なんで素直に結婚を祝うことができないの?自分推し結婚できるわけでもないのにw」というお決まりフレーズに対する答えの一つとなれば。

まず、私が信じている「オタク演者関係性」について述べたいと思う。

アイドル含む演者すなわちステージに立つ人間にとってのいちばんプリミティブな欲求は「見られたい」「愛されたい」だと思う。そして、それを満たしてあげる(敢えてこういう言い方をしますが)ことができるのは、ファンだ。

パフォーマンスを通して「見られたい」「愛されたい」というメッセージ放出する演者に対し、ファンはそれを受け取って、推しを見つめる視線拍手や歓声という形で応える。時よっては熱い想いを送るファン演者ファンサという形でさらに想いを返してくれることもある。こういう幸せ愛情の交換が現場では成り立っていると思っている。

アイドルアイドルでいる限り、オタクは「身の丈に合った相手を好きにならなきゃいけない」とか「重すぎたら嫌われるかも」といった現実人間関係における制約をすっ飛ばし無限愛情を向けることができ、アイドルオタクから注がれる膨大な愛情を受け止めてくれる。

愛情を受け止めてくれる(無視や拒絶をしない)こともまた愛なので、「受け止めてくれた」と感じられることによって、オタクアイドルからの愛を受け取っている。(これはファンサや直接的な「ありがとう」言葉に限らず、「愛してもよい存在」としてそこにいてくれること自体アイドルからファンへの愛だと思う。)

これはオタクをすること以外では得られない関係性だし、おそらく演者にとっても同じく、ファンとの間でしか成立しない関係性だろう。私は、それが自分にとって最も尊い「愛」の形だと信じている。

(実際には推しに干されることもあれば、えげつない集金やクソみたいな運営に振り回されることもあり、綺麗事だけではない部分もあるが、この幻想を信じられるからこそ綺麗でない部分も飲み込むことができる。と私は思っている)

先ほどから「信じている」という言葉を何度も書いているが、この関係性は概念であり一種のロールプレイであり、言ってしまえば「幻想である

アイドルオタクの間にこのような関係性が存在することをオタクが信じ、アイドルが信じさせて続けてくれることでこの「幻想」は成立している。

しかし、演者結婚は、これが唯一絶対の「愛」の形ではなく、さまざまな「愛」の形の一つであり、相対的ものしかないことを嫌が応にも突き付けてくる。

私の愛する貴方ステージの上でしか生きられない人間なのだと、ステージ上と客席で想いを交わし合うことで史上の愛を感じている人間なのだと信じたいが、実際にはそうではなかった。

それが明確にわかってしまうと、途端に自分の信じていたもの陳腐に見えてしまう。

芸能人の熱愛や結婚が発覚したときによく「ディズニーランドミッキー着ぐるみを脱いだ」という例え方をされるが、ミッキー着ぐるみを脱ぐことはミッキーだけ問題ではなく、ディズニーランドという「場」への崩壊であると思っている。

(少なくとも私にとっては)推し結婚自分オタクをすることの決定的な終わりではなく、パフォーマンスが好きな限り推しの出演作を観に行き続けるだろう。楽しむこともできるだろう。

でも、「ステージ上と客席で想いを交わし合うことが、私にとっても推しにとっても史上で唯一絶対の愛の形」という幸せ共犯関係のような幻想は失われ、二度と戻ってはこない。

結婚によって推しのすべてが損なわれるわけではないが、私がとても大切にしていて、推しとも共有できていたと信じていた一部分はポッカリ穴が空いたように失われてしまう。

私の場合はこればアイドル結婚にモヤっとする理由なのだと思う。

  • わからんでもない アイドルとオタクなんかただでさえ希薄な関係なわりに金むしりまくってんだから さらに突き放すようなマネをわざわざするなんてアホなんかと思う

  • 言いたいことは分かったが自覚はどうあれ客観的に見てガチ恋の類だと思う

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