私もひとり学級、その小学校の最後のひとりだった。姉がいたため、小学四年生からはひとりとなった。対する先生もひとり。平屋の木造、瓦屋根の校舎と体育館。掃除は行き届かず、色ははげ、あらゆる木材がささくれだっていた。
もともと小さな小学校だった。次第に人は減り、子供もいなくなり、私が最後の生徒となり、卒業と同時に廃校になった。生徒がいないのだから当たり前ではある。
4年間同じ先生と過ごした。当時は想像しなかったが、この4年間は彼女にとってどういう時間だったのだろう。通勤は価値があったのだろうか。最後まで見送ってくださったのは、義務感からか辞令がなかったからか。そもそも廃校について私をまっていた行政の判断もよくわからない。
前述のとおり、すべてが木造で、木の味とはその校舎内の雰囲気、空気の味だ。匂いではなく、味である。
中学生となった姉は、ついにできた友達と遊ぶのに忙しく、また学校が楽しいためか、私とは近いながらも疎遠になっていった。姉にしてみれば中学生と小学生は大きく違ったのだろうし、その年頃のその気持ちは想像できる。
記憶を探っても、先生がここでの仕事を嫌がっている顔は思い出せない。できれば彼女にとっても嫌な思い出ではないことを願ってやまない。
授業が終わると、なにもなく帰宅する。学校から自宅までは20分もかからなかった。舗装されていない、たんぼの横の道を走ったり、歩いたりしながら帰宅する。夏は暑く、冬は寒い。そして寒い期間が長かった。田舎なんてものではなかった。
帰宅しても祖母がいるだけで、ひとりだった。帰り道のほうがよほど遊べた。帰宅するとひとりだと痛感した。木造の暗い家。うちが特別くらいわけではない。今の家が明るすぎるのだ。当時の家はどこでも暗かった。
「明日ちゃん」では、明日ちゃんの毎日ばかりが奇麗にかかれるが、妹の毎日はまったくかかれない。ひとりの彼女がなにを想って、野辺を歩き、学校で過ごし、自宅で母親とふたりですごしているのかはわからない。たぶん、とてもつまらないのだろうけれど、つまらないと言ってはいけないと、幼心にわかっているのだろう。私のように。そう願う。
あそこで暮らそうと決心した両親の判断は当然正しい。
小学校を終え、中学校へと移ったが、ほとんどひとりで過ごした。高校、家を出てからの大学、院も大して変化はなかった。そして、ひとりがずいぶん長くなった私は、今でもひとりで生きている。違和感もなければ、欠損感もなく、閉塞感もない。ただただ、子供のころからのひとりが延々今に続いているとだけ思う。
友達がいる状況を経験しないと、友達がいない状況への恐怖とか、飢餓感とか、違和感とか、閉塞感とか、劣等感とかを受け取る脳の部分が発達しないのだろう。
ぼんやりと、人と人の線の隙間に私は立っている。そして呼吸は木の味がする。