対象が登場したら(もしくは存在するだけで)何をやっても必ず中傷する人から、対象が法的に違法レベルに達するまで口を開かない者までいる。
何をやっても必ず中傷する奴や、"誹謗中傷する為に"行動している奴、
こいつらはまず全員クソ。頭チンパン。幼稚園児に申し訳が立たないぐらいの存在。全員宇宙のごみとして瞬時に消えて頂きたい。
この場合、殆どの人は誹謗中傷される人は悪くないと感じるだろう。
もっと深層心理を掘れば具体性のある感情が出てくるかもしれないが、だいたい顕在化しない。
そしてなんとなく気に入らないだけだから、その主張に正当性は殆どないし、仲間の数が少ない。
ところが、こうしてみると「炎上した奴が悪い」という発想になってこないだろうか。
だって炎上したそれ相応の事をしているはずだからだ。批難もまた相応。
いわゆる正義マンが大量に飛んでくる。法に触れるレベルになってくるとその数は大きく膨れ上がる。
さらに法や契約のようななんらかの規律が正当性を担保してくれるから戦闘力が高まっていってしまうのだ。
「この人は確かに悪い事をしたかもしれないが(〇〇をする)のは間違っている」
()の中には都度「人格批判」「暴言」「リプライ」「特定」などが入るが、大体このようにいう人が出てくる。
これは道徳上は最も正しいと思う。しかし一方で現実的ではないと増田は考える。
何故かというとそんなに理性的な人間は多くないからだ。悪い奴を見たら叩きたくなる奴が世の中にはとてもとても大勢いるのだ。
そこで踏みとどまれる人間ばかりだったら、そもそもこの世界に誹謗中傷なんてものは存在しないはずなのだ。
ではどうしたらいいかというと、誹謗中傷されても気にしないメンタルを持つのが一番良い。
A-1:台本だったとして、本件の責任の全てが脚本家にあるのか
A-2:出演男性に非はないのか
B:木村花氏のテラスハウスでの行動は犯罪(暴行・恫喝)の範囲であるか
C-2:1人による多重投稿ではなかったのか
同意 > "誹謗中傷する為に"行動している奴、 こいつらはまず全員クソ。頭チンパン。幼稚園児に申し訳が立たないぐらいの存在。全員宇宙のごみとして瞬時に消えて頂きたい。