小説家になろうで先日から投稿が開始された「懲役九千兆年ウンタラカンタラ」という作品のことを二日間、ずっと考えている。
九千件の殺人を犯したサムライが投獄され、九千兆年の刑期を勤め上げ、世に放たれるところから物語は始まるらしい。
作者は、文明が何度も滅んで……と説明しているのだけど、そういう問題なのだろうか。
正直に言えば、九千兆年のタイムスケールから見れば最長の寿命を持つ恒星だって花火よりも儚かろう。
にも拘わらず『世に放つ』。その『世』とはどこじゃいとも思う。
足場にしている惑星だって当然、開幕ヨーイドンでチリになっているよと。
でも、そんなことさえ実は些細な問題であって、最大の問題は『九千兆年という時間が果たして経過するか』ということだ。
人類が発生して、おそらく滅ぶまでの間には時間が流れ続けるだろうし、だからあまり気にする人もいないだろうけど、時間の経過は必ずしも一定ではないのだ。
九千兆年は長い。おそらく惑星が、恒星がという話ではなくて、星系がという話でもない。
宇宙は常に冷え続けており、最後には空疎な空間のみになることが予想されている。だからこそ「まどかマギカ」のキューベエは物理とは別の、感情という膨大なエネルギーをくみ出し、空間に還元することで宇宙の熱量的死を避けようと頑張っていたわけだ。
まあ、しかしそんなのは空しい話で、多少延命しようが死は必ず訪れるのである。
そうして、宇宙は膨張し尽くし、内包するエネルギーは尽き、もはやすべての物質が物質としての形態を保てなくなって漂う。原子とかそんな贅沢な話でもない。もっと微小なチリだ。それが九千兆年よりもずっと手前に起こると思われる現象だ。
最大の問題は、そうなった終焉から時間が経過するものか、ということだ。
誰もそれを観測した者はいないので、憶測だがその時点で宇宙の時間は止まってしまうことも十分に考えられる。
もちろん、新しい宇宙開闢が始まる可能性もないことはないだろう。その際、現在の宇宙は消し飛んでしまい、時間どころか無に帰すのだろう。
そうして、作者はこれらの疑問に対して、文中で納得がいくように説明をされるとのことだ。
もちろん、フィクションであるので文章力次第ではむしろ読者を深い沼の底に引き入れるきっかけになることもある。
とんでもない知識かセンス。あるいはその両方が必要な説得力を俊英は振るわれるのだろうから、こちらとしては座して待ちたいと思う。