https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170405-00000131-mai-soci
ニュースで「大阪市で同性カップルが里親認定」という話をみた。
子供や同性愛者の受け入れという意味で、可能性が広がるという意味で、好ましい話である一方、これがニュースになる世の中であることに不思議さを感じる。
私はこの話を行為的に受け止められるニュースと受け取ったのだが、2ちゃんとかコメントとかを見てみると、変態が子供を育てるのってどうなの?とか、性行為を行っている姿を子供が見てしまったらどうするの?とか、いろいろ意見はあるようだった。
私は、里親としての責任を果たせるかと、同性愛者であることは特に関係ない気がしている。
今日は3月26日にあった、メキシコの女の子の屍体遺棄の犯人が見つかったというニュースがあっていた。
真っ当そうな人でも、殺人を犯す人がいる。
なんの職をしているのかとか、同性愛者か異性愛者かということは、その人自身の性質とは全く関わりないことだと思っている。上流階級が、人の尊厳を損なう行為はしないのかといわれればそうではないだろうし、同性愛者だから性的虐待を犯すに違いないという考えも、偏見だろう。
普通、子供は親を選べないものだ。だからせめて、里子に出されるような、経済的に不安定だったり、いろいろな問題を抱えていた子供には、子供を一人の人間として接してくれる親のところに行って欲しい。でもそれは、多分同性愛者であることとか、下手するとカップルであることとも関係なくて、月並みな話だけれど、ある程度人を人として接してくれる、気があい、経済的に安定な大人であることが重要なんじゃないかと感じる。
むしろ、周りの人たちが、子供やそのカップルに対してどう接するのかの方が問題なのではないだろうか。
子供は10代だそうだから、思春期になる頃だ。そうしたら、自分の里親が普通でないことももうわかる年齢だろう。そんな中でちょっと疑問に感じた子供が、周りから親である人の中傷を聞いたら、どう思うだろうか?
このニュースを見た人は、様々な考えを持つだろう。だが、このことを批判することで、傷つくのは子供なのだということは、わすれないようにしなければならない。そして、里親となる人物が変態か疑問を持つことも重要だが、それはすべての親に注がれる問題であり、同性愛者であることとは別問題であるはずだ。
同性愛者というマイノリティーが、マイノリティーではあっても決して差別の対象とならない社会のために、むしろこの記事を読んだ私たちが、子供のために偏見や差別をしないように意識しなければならないんじゃないのだろうか。そう思っている。