これの意味の解釈が自分とは違う人が結構多いのかなと思ったのでこれについて少し感想文書きます。考察じゃないよ感想文だよ。押し付ける気はないけど自分の考えを喋ってみたくなったよ。
結論から先に言うと「ベイマックスのAIが持つ人助けの本能みたいなものはタダシ自身が持っていた本能的な部分の生き写しであり、タダシという人間の持っていた本質的部分はベイマックスの中で生きている」って話ね。
そもそもなんでベイマックスが生まれたのかっていうと、タダシが科学オタクであると同時に、人は誰かの役に立つべきだと考えて生きているお節介さんだったから。苦しんでいる人やどうすればいい分からない人がいたら救ってあげたい側にいてあげたいっていうのがタダシという人間の在り方。ロボットバトルの会場から弟のヒロを助け出して説教しているシーンやヒロを明るく導いていくシーン、そして命がけで教授を助けに行ったシーンにそれは現れている。
そしてベイマックスに治療法や行動パターンを組み込む時にその気質は十分に受け継がれた。痛いという声を聞いたら飛び出していったり、もう大丈夫と言われるまで離れられないっていうのはタダシの人柄そのもの。ベイマックスが「親しい人の死を乗り越えるためのプログラム」として周りの人と悲しみを分かち合う事を推奨し、それからそっと抱きしめたシーンがあったけど、もしタダシがいたらきっと同じことをしたんだろうなと思う。実際タダシの友人たちはヒロにメッセージを送ってきているし、抱きしめてあげたいと語っている。あの時ヒロの事を抱きしめていたのはベイマックスであると同時にベイマックスの中で生きているタダシの優しさだったんだよね。
そしてベイマックスが「タダシはここにいます」と語りながら動画を見せたシーン。あそこでベイマックスがあの動画を見せたのは、もし親しい人と別れた誰かがいたらこうしてあげたいとタダシが考えた治療法として、その人の動画を見せるという手段を考えついた事がまず起因になってるわけ。つまりさ、あそこで動画を見せているのはベイマックスであると同時にベイマックスにそういうプログラムを組んだタダシでもあるってわけ。タダシの肉体はもうそこにないし、動画もただの過去の映像であってヒロに語りかけてはくれないけど、自分の死を乗り越えようとしてるヒロを救う助けになりたいっていうタダシの気持ちは間違いなくあそこにあったんだよ。そしてそれはベイマックスという肉体を通してヒロにはっきりと向けられていた。だからさ、あのシーンでベイマックスが言っていた「タダシはここいにいます」はかなりの部分で本当のことだったんだよ。確かにあそこにタダシはいた。悲しんでいる誰かの助けになりたい一緒に側にいてやりたいっていうタダシの思いは、本当にあの場所にあって、ヒロのすぐ目の前に立っていたんだよ。
これは余談になるけど、事件が全部終わってからもヒロ達がヒーローとして戦い続けているってのは彼らの中にヒーローへの憧れがあったというのもあるんだろうけど、同時に一連の出来事を通して人助けの心に目覚めたってのもあると思うんだよね。その最初の火種を作ったのは、ベイマックス。戦いを始めたのはヒロだけど、後半になるまでのヒロはやり場のない悲しみと怒りをぶつける為にカブキ男を追っているだけでまだヒーローとは呼べない存在だった。途中までヒロのいいなりみたいな状態ではあったけど、ベイマックスの中には確かな「人の助けになりたいという強い気持ち」が間違いなく燃えていた。皆がまだどこか面白半分でヒーローになりきっていた頃にもベイマックスの中には人出すけの本能が燃えていた。そのベイマックスと行動をともにすることで少しずつBIG HERO 6は本物のヒーローになったんじゃないかって自分は考えてる。あのチームのリーダーはヒロなんだと思うけど、あのチームの象徴はやっぱりベイマックスであり、そのベイマックスの中ではタダシという人間の決して消えることない残り火がいつまでも暖かく燃えているんだろうなって、俺はそう思うんだよ。感想文終わり
好き
こういう話だったのか。 ながら見だから自力で気づけなかった