もしここで福原愛が勝ったら、世の中って希望がないんじゃないかなって思ってしまったということ。
確かに愛ちゃんは才能もあって小さいころからものすごく努力してて、だからこそ日本人なのにあの場所に立つという快挙を成し遂げたのだと思う。
ただ、相手選手である李暁霞を見た時にまずはその規格外な体格に驚いて愛ちゃん負けるな!と思ったと同時に、でも、これで愛ちゃんが勝ったら世の中ってすごく不公平なんじゃないかって思ってしまった。
愛ちゃんはかわいい。卓球界においては天使のような存在だ。誰からも好かれる性格で、世界中にファンも多い。つまり、女の子としての幸せを存分に手に入れている。
もし自分が李暁霞だったら、それでタイトルまで奪われてしまうだなんてことになったら世の中全てに絶望するだろう。
かたや愛ちゃんはまだ捨てきれないものがあって、かたや李暁霞ははじめから持ち合わせていなかったのだから。
愛ちゃんのいない表彰台を見て、心の何処かでこの3人にメダルが与えられてよかったと思ってしまう自分がいた。
彼女たちは本当に卓球が全てなのだろう。全てを卓球に掛けて来ただけではない。卓球を失えば他になにも残っていないのかも知れないのだ。
リオオリンピックは日本のメダルフィーバーで大いに湧いて4年後の東京に向けた大きなはずみになったし、これがきっかけで世の中の景気も少しずつ上向きになるのではないかとさえ感じられるほどだった。
誰もがメダルに向かって一生懸命に努力をして、それで勝ち取った結果なのだから当然そこに怨恨があってはいけないし、清々しいものであってほしいと信じている。
ただ、もし本当にそう思うのであれば、4年後の大会ではただ自国のメダル数を誇らしげに掲げるだけではなく、他国の選手を日本のスポーツ教育の中に数多く受け入れて、他国のメダル獲得にどれだけ貢献したかを誇るような大会になってほしい。
日本にメダルを勝ち取ることができたのは中国のおかげだったとなるなら、世界の未来に対してなんと希望ある言葉ではないだろうか。
4年後の東京オリンピックは、今までのように国の技術力や経済力をひけらかすだけで終わってほしくない。
軍隊を持たない先進国日本だからこそできる、国境を超えてメダル獲得を喜び合えるような本当の意味でのグローバルな大会になってほしいと願う。