自分を他人のように、静止画で捉えて、他の人や「理想像」と比較評価することです。
重大なことに、自己を評価するということは、見ているのはどんなに「今の」自分だと思ったところで、結果であって、過去でしかありません。
そうして自分の評価だけを追い求めると、人は今を生き未来に向かって生きる力を失うのです。
プライドを持てないときに、逆の自己評価、自分は駄目だという自己嫌悪が起きます。
それを引き起こしたのが他人だと感じると、「屈辱」感が起き、相手への怒りや憎悪が起きます。
全てが、「人間として善か悪か」という生き方、その中で自分にダメ出しをしたのが始まりです。
人に接する時に、「明るく喋っている自分の姿」を思い描く。恋人に会いたいという気持ちの中に、「その人を愛している自分の姿」がある。
それは、理性より深いところで、「自己を評価して生きる」姿勢が塊のように存在しているものです。
それを追い求めるべきもののように映し出したとしても、実はそれは自己への自信に導くものではないという自覚を持って下さい。
逆にそれが、自己嫌悪を始めとする破壊的感情を生み出した大元だと。
そうして静止画のような「姿」を追い求める気持ちが減るにつれて、「本当に自分がしたいこと」が見えてきます。
ある自分に「なる」のではなく、今なにを「する」かです。
「幸福」について、仕事の成功とか、結婚とか、友達に囲まれた暮らしとか、「イメージ」で考えるのも同様に無益です。
「こうあれれば」という硬直した姿を捨てた時、人間の多様性は愕然とするほどのものであることを感じると思います。
生まれた環境も、持って生まれた才能も容貌も、家柄の有利不利も。
その中で、何10万人に一人という恵まれた星の下で生まれたアイドルのような人と自分を比較するのは全くの無意味というものです。