はてなキーワード: 良心とは
http://anond.hatelabo.jp/20100322140134
精読したわけではないから誤読しているかもしれんけど。
一連のエントリではてこさんは男性を糾弾したり被害者ぶっているわけではなく
「私は男性(のある側面)に恐怖を覚える。」
という自らの感情を表明しているにすぎない。よってそれに対する、
「男だって女が怖い。」
などといった反論は意味がない。なぜなら、それらが正論であっても彼女の恐怖感の
存在自体が否定されるわけではないから。また、男性からの
「傷ついた。」「中傷された。」
という意見はそれ自体は感情であって表明する価値はあるが、それによってはてこさんを
非難することも意味がない。
そもそもあのエントリにこれだけ反応があったのは、はてこさんの意図とは別にエントリ内において
「それでも熊がほんの一撃で目の前の樹をなぎ倒して、ここに座ってお昼にしよう、と言うとき、
私は胸の奥で震え上がるの。どうか私を食べないでね、って思うの。」
とあるように、人間(この場合は熊であり男性)は自らの意図とは別のところで他者に恐怖を与えうるという
絶望的な事実に対する抗いだったのではないかと思う。実際、我々はどれだけ努力しても他者の心を傷つけうるし
その判断は完全に相手に委ねられて自らではどうにもできない。それを明示されたとき、人は自分がある日突然、
他者に拒絶される可能性があることを思い出して恐怖する。そして、その可能性を打ち消そうとする。
では、我々はどうするべきか。
受け入れた上で肯定も否定もせず自分の感情に基づいた意見を表明すればいい。
彼女の言説が本当に力を持つなら、なんらかの形であなたの感情に影響を与えるだろうし(彼女の意図と違っても)、
(ただし、ここでいう感情は好き嫌いではなく、どちらかというと信念とか良心と言った方が近い。)
表現規制に関しては、自分は実効性うんぬんに関係なくゾーニングの徹底と啓蒙活動が必要十分の施策と考えており、
それははてこさんのエントリを読んでも揺らぐことはなかった。
追記)書いてみて、我ながら「めちゃきれいごと(笑)」と思ったが、
実際に連休中に考えた末にでた結論だったのでそのままアップする。
怖い怖いと言われる側の事、一瞬たりとも考えたことないんだろうなと、なんかね、そこに引っかかってしまったもので。
冷静にまとめるならば、
「男性は物理的に強者であるため、弱者である女性の私には怖い。だから、その対象が実在していなかろうと、女性を陵辱するようなゲーム・コミック等が存在する事は暴力になり得る」
という事だと思うのですが、残念ながら元の文章は「男性は物理的に強者であるため、弱者である女性の私には怖い」がその大半を占め、被害者であるという主張が強くうち出ています。
コメントにある「男性の理性良心を信頼できず不安を感じる私は被害者です。」もまさに誤読ではあるのですが、そう誤読させる強さが、その主張にはあるかと思います。
ついつい、そこに感情的に引っかかってしまいました。
男性として生きていても、自分より強いものに接しなければならないことは、常にあります。
女性であっても、自分より弱いものに接することは常にあるでしょう。
StrikerS は微妙な出来だったな。
作品としてはそこそこ面白いんだけど、なんで大人にする必要があるのかと。
せっかくでてきたロリキャラまででかくなるとか意味がわからなす。
キャロはあの作品唯一の良心。
まぁ、テレビ版の「少し頭冷やそうか」だけは評価する。
ん? 名誉棄損は表現の自由を成立させている要件である「他者」を危害に晒すという根拠があって、表現の自由に優越しているんじゃないの?
上位原理(コミュニケーション)を損なわないために下位原理(他者)を保護しようということじゃないの?
性愛もコミュニケーションの下位原理の一つだから(ただしそれほど重要ではない。コミュニケーションには情動が普通必要だけど、性愛は情動の一種にすぎないし、特に人間は性愛以外のコミュニケーションが多い)、コミュニケーションを損なわないためには性愛を保護しなければならないんじゃないかな。
表現の自由より下位で保護されるべき原理となると、身体の自由や思想・良心の自由やプライバシー(柳美里とかあったね)や他者危害など極めて限定されると思うけど。
この非道な状況で、
偉そうによくもそんな事がほざけるものだな。
良心に従って、何をされても耐えるのが正しい道だと説きたいわけか。
ドコモの場合
牛丼は0円です、ただし2年間毎月280円いただきます解約したらペナルティで一万円いただきます。
ソフトバンクの場合
牛丼は5600円です、ただし本日0円にして2年間に分けて280円頂きます、解約したらその月からの残った牛丼代を頂きます、
↑ややこしいのはこれだけ、あとのややこしいプランとかはパケット上限が下がる変わりに2年間解約できないとかはdocomoにしろwillcomにしろ
どこでもやってる。
ソフトバンクは解約できないプランを作ってるだけ、ただソフトバンクのやり方はややこしくして無理やり0円ケータイにしようってのが汚い。
きっかけはここを読んだから
幼い娼婦だった私へ から一部抜粋 ソマリー・マム (著) /文藝春秋
http://www.rainbow.gr.jp/ukifune/somalymam.html
一番グサッときたのはここ
>‥‥その後、殴ったり、タバコの火で火傷させたり、爪をはがすようになった。いまはもっと残酷になっている。目立つところに痣(あざ)をつくるのを避けて、かわりに頭に釘を打ち込むのだ。信じられないことだが、証拠写真もある。少女を縛って電気ショックを与える。死んでゆく子もかなりの数にのぼっている。ニーク・ルオンでは、下水路のなかに少女たちが縛られているのをわたしたちが見つけた。こうした変化は、斡旋人やその他の多くの男が夢中で見ている中国ビデオの影響によるのかもしれない。この手のビデオには、あからさまなサディズムによる拷問のシーンが多い。しがないオーナーたちはこうした映画の虜になってしまい、同じシーンを再現しようとする。誰にも邪魔立てされずにできるのだ。
「中国ビデオ」とあるけれでも、日本のビデオ・マンガ・同人もあっちこっちの海外サイトにうpしまくられてるし
今後見られる可能性は充分あるな、と思ったので
これはね、仮に非実在青少年の規制が成立されても何の解決にもつながらないってことは重々わかってますよ
規制したところで違法うpは無くならないし、無限にコピーされてくし、そもそもその国の治安の問題だし
ただ、日本のオタクたちが現実と妄想の区別がちゃんとつけられる良心的な人間だったとしても
傷つけられても、殺されても、誰にも気に取られない実在青少年が居るんだ、ていう事実に大変ショックを受けたんです
もし大好きな日本のマンガ、アニメ、同人がきっかけで本当に殺されちゃう子供が居たとしたら…と、思うと…ね…
被害妄想過ぎかな…
誰かわからない心ない人達は一旦置くとして
有村君がこういうこと言っちゃうのはかなりショックだった
いつもの彼なら女の子がいじめられた脅かされたりしてるニュース見たら
誰よりも熱く加害者を憎み、ブコメで無神経な発言をしたはてなーにも余勢で掴みかからんというぐらいに怒るのにね。
あれが彼の大きな特徴であり、そこが好きでファンって人もたくさんいると思う。
被害者の女の子が皇室のああいう立場だってことが重要だったんだろうけど
彼の中のかなり芯の部分に見えた良心を、思想が上回るんだね…
なんか嫌なもの見た
— 自民幹事長:徴兵制を検討? 談話で否定 - 毎日jp(毎日新聞)
ttp://mainichi.jp/select/seiji/news/20100305k0000m010084000c.html
論点整理は「国民の権利及び義務」の項目で「ドイツをはじめ多くの国では、憲法で、国民の兵役義務や、良心的事由に基づいてこれを拒否する者の代替役務等が定められている」と指摘したうえで、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて、さらに詰めた検討を行う必要がある」と提起した。
これが「徴兵制検討」と速報されたのに慌てた大島氏は、談話で「論点整理はあくまでも他の民主主義国家の現状を整理したもの。わが党が徴兵制を検討することはない」と否定した。
ttp://blog.livedoor.jp/mumur/archives/50471710.html
上記目次の最後の「前田×福田対談」が面白かったので、いくつか抜粋して紹介します。
平成11年度の対談らしいので、もしかしたら既に有名な対談なのかもしれませんが。
以下は、全て前田氏の発言です。
日本のやった戦争に問題があったのは確かだけれど、当時の日本人にしたら、煩悶、苦悩を重ねた末にやらざるをえないと覚悟を決めてやったわけでしょう。男子に生まれ、徴兵されたら、否でも応でも闘うしかない。なかにははっきり嫌だと思っていた人もいただろうけれども、一応は「お国のため」という大義名分で自分を納得させたはずでしょう。 そういうそういうギリギリのところで国とか公に殉じた精神、心根を汲まなくて、全部あの戦争は侵略だったみたいにして断罪するのはそれこそ卑怯だと思います。敗北と言う結果が分かっていて、まるで時間のカンニングペーパーを見て答案を書いているようなものじゃないですか。カンニングペーパーを使って、当時の人たちの行動を批評するのじゃなくて侮辱する。そういう人たちの書いたもの、言っていることというのは、もう本当に嫌ですね。しかも、自分は日本の罪を認めています、悔いていますという、自分一人だけを良心の高みに置いているような感覚がたまらない。
どんなものにも光と闇がある。歴史もそうです。広瀬武夫や佐久間館長のような軍人もいれば、そうでないひどい軍人もいたでしょう。誇らしいこともあれば、惨めな、恥ずかしいことを背負っていくこともあったはずです。でも、そうした諸々を引っくるめて背負っていく。そういう熱い思いが、歴史を語るには何より大事じゃないですか。俺はそう思いますね。
(従軍慰安婦問題に関して)俺は、やむをえなかったというのも、一方では確かなことだったという気がするんですよ。当時、東北の農村なんか本当に貧しかったわけでしょう。日本の娘も遊郭に売られれることは珍しくなかった。それは朝鮮半島も同じだった。そういう現実を前にして「親には考を尽くす」という価値観のなか、親がそうしたのか、子供がみずからそうしたのか、それはもうさまざまだったろうけれども、逃れられない運命のようなものに、人も国家も翻弄されたというのが実相だったんじゃないかと思うんです。確かにその舞台が戦場と言うことで、いっそう悲惨になったのは間違いないけれど。
(従軍慰安婦問題・強制連行に関して)俺はいろいろと親戚とかに昔の話を聞くんだけれど、少なくともその範囲では聞かなかったですね。
近親憎悪が日本と韓国の間にはある。結局、似ているということがかえって反発や憎悪を生んでいるんだと思います。とくに韓国の場合、儒教がいい意味でも悪い意味でもプライドになりすぎているから、歴史的にその文化圏の辺境にある日本に対してはどうしても優越的感情を持つことになる。日本の文化の源はすべて朝鮮を通じて伝えられたと言う意識ですね。
名前を出して悪いんだけれど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とても俺は共感できない。力道山や大山倍達だって差別されたはずだけど、ちゃんと一個の人間として、大した生き方をしてみせたじゃないですか。有名無名に関係なく、俺の知ってる限りそういう在日はたくさんいますよ。
でも俺のような考え方は、在日の中でも少数だと思います。たとえば在日への差別問題にしても、日本の部落問題と同じように、実際にそれを「食い物」にしてるやつがずいぶんいます。自分が現役引退を契機に出自を公にしたら、もう嫌になるぐらい多くの奴が寄ってきましたよ。でも、その中にどれだけ本物がいたか。
朝鮮総連や韓国民団は日本に対して差別だなんだと言うけれど、同胞が北朝鮮でどういう目に遭わされているか、あるいは韓国に帰ってどういう扱いを受けているかについては、世の中に聞こえるような形では誰も何も言わない。何だこれは!
出自が在日だからということで韓国で就職差別を受けたり、北朝鮮に帰国すれば殺されたりひどい目に遭わされたりする。こういうことに黙っていながら、日本国内の差別反対だとか、参政権をよこせだとか言う人間を、少なくとも俺は信用できない。
>しかも、自分は日本の罪を認めています、悔いていますという、自分一人だけを良心の高みに置いているような感覚がたまらない。
これこれ。
所謂リベラルとか媚韓の人に対する嫌悪感ってのは、ここに由来する。
前田さん、言ってくれてありがとう。
mumurも何回も言ってるけど、彼らは「差別をなくしたい」のではなく、「差別を糾弾している自分の演出」が目的なんだよね。差別とか犯罪とか、世界普遍的絶対的に悪とされる事柄を糾弾することによって、絶対的に善の立場に立つことが目的。
普通の人はそんな他人のことはどうでもよくて自分のことで精一杯なんだけど、この手の方々は何故か他所様の悪の追及に闘志を燃やす。彼らは本来的には正義感の強い人なんだけど、日本人的な潔癖症と相俟って、いつでも悪を糾弾していないと気がすまない。
この、潔癖症の正義感は、「弱い人」の訴えに無謬性を与えることになる。
もちろんそれは、気持ちとしては分からないでもない。
涙ながらに痴漢の被害を訴える女子高生に対し、「嘘つき」とは口に出来ない。例え思っていても口には出来ない。
しかし、普通の人ならば、色々な異論・反論を耳にしたり、矛盾点を発見したなら、疑念が沸いてくるものである。
ここで潔癖症の正義感は、その「疑っている自分」に対しても嫌悪感を引き起こす。異論は受け入れず、「事実かどうか」は無視される。その結果、一般人との認識が乖離し、ますます大衆の支持を得られなくなる。
この「絶対的弱者」と「それを擁護している自分」という強固な図式は、実は彼らの差別意識の現われだと思うんだよね。潔癖症で正義感が強いからこそ、自分の内にある差別意識を取り除くべく、他人を糾弾し続ける。
君が代不起立元教員、二審も敗訴 東京高裁
卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったのを理由に、定年後の再雇用を取り消したのは違法として、東京都に対し都立高の元教員10人が再雇用の確認や慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は23日、請求棄却の一審東京地裁判決を支持、元教員側の控訴を棄却した。
起立や斉唱などを指示した都教育長通達や校長の職務命令が思想・良心の自由を定めた憲法に違反するかどうか、都の処分が裁量権の乱用に当たるかどうかが争点だった。
奥田隆文裁判長は、通達や職務命令について「起立や斉唱の外形的行為を求めるのは特定の思想の強制や禁止に当たらず、思想・良心の自由を定めた憲法に反しない」と指摘。
都の処分についても「不起立は職務命令違反や信用失墜行為に当たる。『勤務成績が良好』との再雇用の要件に欠けるとした都の判断は不合理とはいえない」とし、裁量権の逸脱はないと判断した。
判決によると、原告10人のうち9人は2004年1月、再雇用などの合格通知を受けたが、同3月の卒業式で起立・斉唱しなかったのを理由に取り消された。残る1人は翌05年に合格通知を受けたが、同様に取り消された。
再雇用しても言う事聞かないのは分かりきってるんだから雇用する義理も義務も無いと思うけどな。
当人が「反省してます。次からはきちんとやります」と言うのであれば話は別だろうけど。
僕には好きな人が居て、その人もどうやら僕のことを好きらしかった。
僕はいわゆる非モテというやつで、恋人なんてついぞ出来る気配はなかったけど、元気に実直に、自分の良心に反さないようには生きていた。、
彼女はそんな僕の内面(他人からすぐ見えるところだから外面か)をなぜだか好いてくれたようだった。
彼女は自分の感情を隠すことが下手なようで、彼女が僕に好意を抱いてくれていることは、すぐに僕の知るところとなった。
女性からの好意を感じたことのなかった僕はいつしか、彼女のことを特別に気にかけるようになった。
彼女と同じ空間にいるだけで意識してしまうし、つい姿を目で追ってしまう。
友達に相談したら、それが好きになるということなのだと教えられた。
かくして僕と彼女は、たいした会話も交わさないまま両思いというやつになっていたらしい。
だけど彼女が好きなのは理想化された僕で、僕が好きなのは自分を好いてくれる彼女なのだった。
次第に彼女と言葉を交わすことになった僕が最もよく聞いた単語は『意外』だったような気がする。
僕のだらしない実態を聞いて驚く彼女相手に自虐みちた笑顔を浮かべながら、彼女が好きなのはこんな自分ではないのだと繰り返し再認識した。
僕の方こそ本当に彼女のことを好きだったのかと言われると疑問符がつく。
つくのだけれど付き合うということに憧れのような感情をいだいていた僕は、彼女に告白することになった。
彼女の好きそうな状況で彼女の好みそうな台詞で行った告白は、5年よりも長い5秒程度の沈黙の後に受理され、めでたく僕の彼女いない歴がリセットされたのだった。
付き合うということが、僕にはよくわかっていなかったのだと思う。
メールを送るにしてもどんなことを言えば良いのかわからないし、
結局のところ、息苦しさを感じながら彼女と会話するよりだらだらインターネットを見ていた方が僕の性にはあっていたのだ。
僕と彼女は申し訳程度に数回のデートを重ねたが、その度に彼女の僕に対する気持ちが離れていくのがわかった。僕の彼女への気持ちも同様だったから。
電光石火の早業で、僕は彼女に振られることとなった。
僕は自分の最後の言葉が「ありがとう」だったのか「元気でね」だったのか思い出せない。本当は「ごめんね」と言うべきだったように思う。
気づけばもうあれから5年も経っていて、僕の彼女いない歴は着々とかつての記録に近づいている。
つきあうということがどういうことなのかは、未だもってわからないままだ。
国母選手のバッシングがあたかも全日本国民によって行われてるかのような思い込みで書かれた日本社会の批判をネットでよく見かける。こういう人の周囲の家族や友人の間で何人ぐらい国母批判をしてたのか気になるが、おそらく自分自身も含め誰もそんな話してなくて、テレビのワイドショーか何か(2ちゃんコピペブログ?)だけ見て日本社会が全部そうだと思い込んでるだろう。しかしそのテレビや2ちゃんですら擁護の声があるわけで到底国母批判が日本社会の総意とはいえないはず。にもかかわらずなぜそういう日本丸ごとを対象とした批判がはてな村で賞賛されまくるかというと日本が嫌いで嫌いで仕方がない人が圧倒的に多いからだろう。日頃は在特会批判で盛り上がってるから差別に批判的な良心的な人間が多いかのように見えるが、こういうことがあるとすぐにはてなーの本性がばれる。君達は本当に薄汚い人間だよ。