はてなキーワード: シチューとは
わたしがお婆ちゃんが嫌いです。あんまり性格が合わないです。ジェネレーションギャップなのか、言ってることややってることがよくわかりません。
ここでお婆ちゃんの嫌いなところを整理・確認してみようと思います。わたしに落ち度があるのかどうか、皆さん教えてください。
(1)「いらない」と言ったのに・・・。
お婆ちゃんは天然なのか嫌がらせなのか断ったのにやってしまうことがあります。
例えば、ある日お婆ちゃんが座椅子を一つ買ってきました。「安かったから買ってきた」と言います。わたしとしては安いことを理由に物を買うのが理解できませんが(だって買わなかったらもっと安く済む)、まぁ、それは置いといて、お婆ちゃんは「全員分買おうか?」と聞いてきたのでお婆ちゃん以外の家族全員一致で「いらない」って言ったのに次の日居間に行ったら全員分揃ってました。もちろん誰も使ってません(何故かお婆ちゃんも)。
別の日、お婆ちゃんが魚を焼こうとしているのを見つけて、お腹が空いてなかったので「私の分はいらないよ」と言い、お婆ちゃんは「わかった」と言いました。十数分後、お婆ちゃんが部屋に来て「魚焼けたよ」と言いました。
(2)家事しているのに・・・
うちはわたしが五歳の時にお母さんが事故で死んじゃって父子家庭です。なので、家事をみんなで分担しています。私は洗濯と食器洗いをし、お婆ちゃんは晩御飯を作ることになってます。晩御飯は生協を取っているので、レシピ通りに作るだけです。
でも、それが面倒くさいようでよく私に向かって「楽で良いね。たまには家事手伝ったら」と言います。
毎日してるよー。
(3)ご飯を食べていると・・・
またご飯の話です。お父さんもお兄ちゃんも帰りが遅いので、夜はお婆ちゃんと私の二人っきりでご飯を食べます。
お婆ちゃんは「たまに腹八分目くらいが良いんだよ」と言っていたので、私は無理して食べずにおかずを残しました。するとお婆ちゃんは「何で残すの?」と少し怒り口調で言いました。別の日、少し多いなと思ったけど、残さず全部食べました。するとお婆ちゃんは「そんなに食べると病気になるよ」と言いました。
わたしがシチューやカレーをおかわりせずに「ごちそうさま」を言うと「もう終わり? 食欲ないの?」と言います。毎回食べるのは一杯です。
どうしたら良いんですか。
(4)お菓子や昼ご飯・・・
昼ごろ家にいると「ご飯食べないの?」と聞きにきます(朝と昼は自分で勝手に調理して食べることになってます)。
お腹が空いてなくて食べないときもあれば、12時半とか
まだ早いので食べてないときもあり、自分で判断して食べなかったり食べる時間を決めています。毎回「お腹空いてないからー」とか「まだ早いからー」と言わなきゃならなくて面倒です。食べたいのに食べないなんて人はいないと思います。
お婆ちゃんはよくお菓子を買ってきたりもします。いきなり部屋にやってきてお菓子を差し出してきます。「いらないよ」と言うと「何で?」と聞いてくるので「今、別に食べたくないから」と返すと「前は食べたのに・・・」と言って去っていきます。食べたいときもあれば食べたくないときもあることがわからないようです。
食べたいときは自分で取って食べます。
(5)部屋にやってきて・・・
お婆ちゃんはよく部屋にやってきてノックもせずにドアを開けます。「どうしたの?」と聞くと「いや、起きてるのかなって思って」と言ってドアを閉じます。
たまにわたしが寝ているとお婆ちゃんは説教します。
午前中寝ていたら「いつまで寝てるの」と言い、午後なら「寝不足にならないようにちゃんと寝なさい」と言います。
お婆ちゃんは夜九時??朝六時以外に寝ていると怒るようです。でも、疲れて寝転がってたらついつい寝ちゃうことがあるし、やらなきゃいけないことがあって夜遅くまで起きてたときは次の日寝ちゃうこともあると思います。
(6)説教の内容は・・・
説教は毎回同じフレーズが繰り返されます。「自分のことは自分で決めなさい」です。
自分で決めてやったのにお婆ちゃんの考え方と違うとこのフレーズが出てくるのでよくわかりません。
(7)部屋で寝転んでると・・・
わたしが寝転がりながら漫画を読んでたりケータイをいじってたりしてると「ゴロゴロしてないでたまには外出しなさい」と言います。
毎日外出してるよー。
(8)聞き返すと・・・
ご飯を食べながらテレビを見ていると、お婆ちゃんが「××(テレビに出てる人)知ってる?」と聞いてくることがあります。「知ってるよ」と言うとお婆ちゃんが何も言わないので「××がどうしたの?」と聞くと「何でもない」と言います。
他に、脈絡なく「どう思ってるの?」と聞いてきます。「え・・・何について?」と聞き返すと黙ります。「いったい何」とさらに聞くと「聞き返すようなことじゃない」と少し怒ります。
なんなのー。
(9)言い返すと・・・
わたしはお婆ちゃんに自分の意見を言ったり、注意をしたりしません。ニコニコ笑って同意したり、流したりするだけです。話が長くなるだけで疲れるし、こういうことがあったからです。
確か小学校3年生ぐらいのときだったと思います。
お婆ちゃんが水の入ったコップの中にハサミを入れてました。「水につけたら錆びちゃうよ」と私が言うと、お婆ちゃんはしどろもどろになりながら「錆びないよ」「良い刃だから錆びない」と言い、「良い刃でも水につけてたら悪くなっちゃうかもしれないよ」と言うと、「ハイハイ! わかりました!! 邪魔だからあっちに行ってね!」と逆ギレしました。
注意されてむかつくのはわかります。
地域の知り合いで農家の人から、大き目のダンボールいっぱいに玉ねぎをもらいました。大量の玉ねぎを楽に美味しく頂くにはどうしたらいいか…と悩んだ末、オニオンスープにしてみました。玉ねぎを刻んで鍋に入れ、たまに手を加える以外は待つだけで出来ますが、結構うまい。
玉ねぎが特売だったとき、野菜 (玉ねぎだけだけど) を沢山摂りたいとき、時間も食欲もない朝の食事などにいかがでしょうか。
「こうすればもっといいよ!」という増田の皆さんのお知恵も待ってます。
玉ねぎの炒め上がりは飴色?もっと薄い?
もっと薄いです。炒めるというよりほぼ放置になります。でも文章見たら炒めるようにも読めるよこれ…表現変えました。
はてなは、理屈っぽくて、議論大好きな人が多いところが好きだ。
でも、論理と理論をごっちゃにして使っている人がいると、がっかりする。
がっかりは言いすぎだけど、せっかくの熱弁もこれひとつで台無しだと思う。
「え、その違いがわからずに議論してるんですか?」
「もしかして、普段から、自分の議論が論理的に正しいかどうか、全然判別できずに議論してませんか?」
と、疑惑の目を向けたくなってしまう。
検算ができない子に、この計算がここで間違っていると指摘しても、
その子は自分は正しいと言い張るかもしれない。
論理と理論をごっちゃにしている人に対して、僕は同様の疑念を抱いてしまう。
もし、こちらが、あちらの論理の間違いを指摘しても、相手は理解できず、
お互いに気分を悪くして、議論が終わってしまうのではないかと、すこし不安になる。
ごく簡単に言えば、
理論は、ある結果(現象)が起きる因果関係を説明するモデルだ。
以下、演繹、帰納、理論について、もう少し詳しく説明してみる。
アリストテレスは人である。人はいつか必ず死ぬ。よって、アリストテレスはいつか必ず死ぬ。
こういうのを演繹法という。「アリストテレスは人である。」「人はいつか必ず死ぬ。」この2つが事実であって、
事実から、「アリストテレスはいつか必ず死ぬ。」という結論を導き出している。
つまり三段論法というのは、A=B、B=C、よってA=Cのことだ。
(これ、イコールじゃなくて、包含関係で説明するのが本式だが、そこは省略する)
なお、演繹法では、事実とした事柄が、実は、事実ではない場合、
当然ながら、結論が間違ったものになることには、注意が必要だ。
帰納法は、多数のサンプルとなる事実から、共通して言えることを結論とする方法だ。
A猫は4つ足で歩いていた。
B猫も4つ足で歩いていた。
C猫も4つ足で歩いていた。…と可能な限りのサンプルを集め、
サンプルとして集めた猫が、全て4つ足で歩いていたなら、
「猫は4つ足で歩く」という結論が導き出せる。
帰納法では、少なすぎるサンプルから結論を出したり、
サンプルからは言えないことを結論にしてしまったりすることに注意が必要だ。
理論というのは、ある最終的な結果が起こるための因果関係の説明だ。
因果関係というのは、原因(の現象)と結果(の現象)の1セットのことをいう。
レシピの詳細は省くが、
シチューという最終的な結果は、
人が、包丁、まな板、鍋、火などを使って調理することで起きる。
順番を間違えるとうまく結果が出ない。因果関係に則っていないからだ。
シチューが生まれる過程を簡潔に説明し(無駄な現象を捨象するという)、
シチューを作る上で、あまり重要ではないことが書いてあるのは、上手な理論ではない。
(たとえば、調理中にキッチンにゴキブリが出たら、すぐさま潰してください、とか。)
ここまで説明した「理論」というものは、論理によって構築される。たとえば、帰納法を使って、
おいしいシチューAには、肉が使われていた。
おいしいシチューBにも、肉が使われていた。…と、
自分がおいしいと思うシチューのサンプルを集めていき、全てに肉が使われていたなら、
自分がおいしいと思うシチューを作る要素のひとつは肉であると結論づけられる。
また、どんな理論も仮説だ。仮設と言い換えてもいいかもしれない。
理論とは、ある結果に至るプロセス(因果関係)を説明したものに過ぎないので、
いずれ、もっと上手にそのプロセスが記述される可能性があるからだ。
こういったことは、議論をする相手には、ぜひとも知っておいてほしいよなあと、思う。
自分の書いている文章の論理展開も、気にしながら書いてほしいよなあ、とも思う。
あらゆる現象を完全に説明できるたった一つの理論というのも、未だ発見されていない(そして、たぶんない)。
だから、お互いに指摘しあって、修正しあえるのが良い。
そのためには、少なくとも議論する人同士が、前もって、
私の母は専業主婦で、田舎の出身だったせいか、ほとんど冷凍食品や惣菜を買わない人だった。外食というと、高いレストランや寿司、あるいはラーメン屋やうどん屋に行くくらいで、私はファミリーレストランというものに行くことがないまま成人した。ほとんど母(と父)以外の手による料理を食べることなく成長したのだ。
そのせいで、私はとても外部の味に弱い人間に育ってしまった。
例えば、小学校の行事などで泊まる、所謂「青少年課外活動センター」的な施設で出される料理の数々が全く喉を通らない。一般に家庭料理と呼ばれる料理、例えば煮物や漬物、卵焼き、味噌汁、酢の物。これらの料理の「美味しい」の幅が完全に母親の味で狭められてしまって、全く適応できなかったのだ。「食べ物を粗末にするのは下品なことだ」と理解はしていても、美味しいと思えない料理を食べる苦痛ほど、子供にとって大きな苦痛はない。
ああいった施設で出る料理は決して美味しくはないが、一般的にいえば、そうまずくないレベルにはあると思う。しかしそれらが私にはどうしてもまずく思えてしまう。おかず類に一切手をつけることなく、ご飯と味噌汁のみを食べる私はひどく奇異に思われたものだった。
ただ給食はまだマシだったと思う。シチューやカレーは比較的差の出にくい料理であったし、家でほとんどパンを食べることのなかった私はパンというだけで嬉しかった。小さいおかず(とうちの学校では呼んでいた)は食べられないことが多かったが、それでも担任の先生に恵まれて残すことを咎められたことはなかった。
仕出しのお弁当がおそらく私が最も苦手とするもので、完食できた試しがない。色々なシチュエーションで食べる機会が巡ってくるのだが、未だに苦痛でたまらない。そして大半が残ったお弁当を見て、人は言う。
「偏食はよくない」と。
しかし偏食ではないのだ。私は煮物も酢の物もお浸しも大好きだ。大好きだが、「まずい」それらは好きではないのだ。もちろん、自分の好みの狭さはどうにかしないといけないと思っているし、引け目に感じているのでそんなことを言い返したりはしない。それでも「偏食」だと連呼されるといやになる。
本当にこれが美味しいんかい、と問い詰めたくなる。
仙台に旅行に行って牛タンを食べたら、明らかに味の素の味がしたので、「あんまり好きじゃないかも」と遠まわしに言った。そうしたら、「ああ、こういうの嫌いよな。自分好き嫌い多すぎ」と言われてしまった。そうかな。2500円も取っておいて味の素バリバリなその牛タンに原因はあると私は思ってしまうんだが!
味の素が嫌いなわけじゃない。適量の味の素は素晴らしい。でもものには限度があると思うのだ。塩は素晴らしい調味料だが、塩辛すぎる料理は誰も美味しいとは言わないだろう。過ぎたるは及ばざるが如し。むしろ調味料に関していえば、及ばない方がましだ。
この文はほとんどあの牛タンへの恨みで出来ている。期待したのに裏切られたのだから仕方がない。しかしあれは美味しくなかった。むしろマズイと言い切ってしまってよいレベルだった。
しかし鬱憤をこんなところで吐き出しておいてなんなのだけど、自分はちょっと味覚に関しては狭量過ぎる所があるのかな、と最近思ったりもしている。わさびも生姜も柚子もセロリも紫蘇もNOTHANKYOUなのは、確かに偏食な気がするのだ。これらの香りもの類に関するセンサーは、かなり高感度のものが搭載されていて、セロリに関してはサッポロ塩ラーメンですら拒否反応が出るくらいなのだ。少し病んでいるかもしれない。
そんな私だが、ファーストフードは嫌いじゃないのが自分でも不思議だ。しかし、ハンバーガーに関しては、母の味がインプットされていないせいかもしれない。子供の頃は食べる機会がなかったので、成人してからは好きなだけ食べられることが結構嬉しかったりもしている。
チキンフィレオが一番美味しい。
おわり。
ごはん終わってから台所に鍋とかフライパンが残っていると著しく洗う気力がなくなりますが、これならOKです。そして非常に簡単です。シチューの素とベーコンの味で特に頑張らなくとも普通に美味しくなります。試すべし。
キャベツではなく白菜でも美味しいですし、ベーコンの代わりにツナ缶や鶏肉でやってもわりといけます。しかし味の面からいうとベーコン最強です。胡椒はたっぷりと。面を茹でる時の塩もたっぷりと。
確かに求めているものを言葉にするのは難しいかもしれないけれど、自分がどういう風になったら満足で、そのためにどういうことをしたくて、相手にはどういう風になってほしくて…ということをお互いが正直に伝えあって、それをフィードバックしていくことは、十分現実的だと思う。いや、思いたい。というか、何で今までやってこなかったんだろうと思う。
例えばシチューを作って食べるときに「あなたがニンジンを好きなのは分かるけど、私のシチューにニンジンは入れないで欲しいんだ。あ、いや、でも器に入れてほしくないだけで、鍋で一緒に煮る分には全然大丈夫だから。うん…え?肉?鶏肉は全然大丈夫だよ?あ、鶏肉が好きなら、今度チキンカレー作ろうか。私、カレーに入ってるニンジンなら平気なんだ。」みたいな食べ物の話と同じレベルで価値観について話せれば、もっといい関係が作れると思うのに。
* ご飯に合わない
からじゃないかしら。
日本は主食がやはり米なので米にあうおかずに人気があるのはわかるんだけど、ハヤシライス(ハッシュドビーフ)はそれなりに支持層があるのにビーフシチューはあまり人気がないのかなあ。ハヤシライスおいしいよね?
クリームシチューは子どもには人気メニューの一つだけど(昔給食でもよく出たなあ)、たしかに大人にはパンチが足りないですね。
つけもの
やきざかな
みそしる
ちんじゃおろーす
まーぼーどうふ
ゆどうふ
なべ
てkkどん
そば
とまとさらだ
あぼがどさらだ
あぼがど
たまごやき
めだまやき
はむえっぐ
焼きソーセージ
ゆでそーせーじ
はんばーぐ
ちきんなげっと
おむらいす
おこのみやき
ちゃーはん
らーめん
にくやさいいため
ピーマンの肉詰め
ほいこーろー
うめぼし
ほうれんそうのおひたし
ちんげんさいのおひたし
しらす
なんとかちーの
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イカ墨パスタ
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牛牛蒡飯
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