はてなキーワード: あべこべとは
必ず語尾に「ナリ」が付くコロ助かよ。何で何でもかんでも「~みたい」なの?断定しろよカスが。
逆に って言う奴死ね
どこが逆なんだよ。お前の目の前に広がる世界はすべての物事があべこべになってんのか?逆の概念ぐらい数学で学んだだろ?
異常にって言う奴も同じく品性の欠片もない下等生物なんだが「普通に」って言ってる奴は罪深い。全国の身体障害者に謝れ。
〇〇?何それ?美味しいの? って言う奴死ね
本来食べるべからず物に対して、現実逃避を表すかのように用いる奴は死ね。そんな事言う奴は家で引き篭ってアニメ見て現実と距離置いてりゃいいんだよ。
マジでそのせいで携帯折りかけた。もし折ってたらどうしてくれる。徹底的に賠償を要求するはずだぞ。
Chromeおすすめのエクステンション~~~ Firefoxこれだけは入れとけ~~~ 死ね
マジで死ね。このエントリータイトル見ただけで壁殴りたくなる衝動に駆られる。何番煎じなんだよ?あ?1000番煎じ位だと思うぞ?冗談抜きでよ。
猫の事をぬこ って言う奴死ね
言語障害者ってことは分かるんだがぬこなんて単語は辞書にはない。二度と使うな。
参考
■[知識][経済]2008年11月17日 朝日新聞 クルーグマンの記事 全文
http://anond.hatelabo.jp/20081118194540
金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全な財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべの世界」だ。ここには長くいたくない。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/1030466313fe91ad865d0bfa2b9c9f1a
彼(クルーグマン)は、1998年に"It's Baaack!"と題する論文で、
伝統的な見方では、流動性トラップに置いて金融政策は無力で、財政支出の拡大だけが唯一の出口、ということになるけれど、これは考え直すべきだ。もし中央銀行が、自分たちは無責任になり、将来はもっと高い物価水準を目指します、ということを信用できる形で約束できれば、金融政策もやっぱり有効になる。
と主張した。これに日本の「リフレ派」と称するエコノミストが唱和して、日銀が異常な金融緩和を行ない、それが円キャリーを誘発してアメリカのバブルの一因となった。それなのに今回は同じ状況でインフレ目標を提案しないで、かつて「やけくその政策」とバカにした財政政策を推奨するのはどういうわけか。彼の議論が機会主義的で一貫性を欠くのは今に始まったことではないが、学者ならかつての自分の提案が間違っていたことを認め、それが日米の経済に少なからぬ悪影響を与えたことを謝罪してほしいものだ。
補足 (池田信夫)
2008-11-18 13:36:26
TBにも書かれているが、クルーグマンがこの記事の質問に答えています(日本語が読めるわけないが)。
http://krugman.blogs.nytimes.com/2008/11/15/macro-policy-in-a-liquidity-trap-wonkish/
This misses a key point that I and others tried to make for Japan in the 90s and are trying to make again now: creating inflation is easy if you’re an irresponsible country. It may not be easy at all if you aren’t.
要するに、日本では(アメリカでも)無理だということを認めたわけです。しかし、それに代わって彼が提言する財政支出は、もっと無責任な政策です。こういうとき国際的な影響を考えないのは、政治家も経済学者も同じ。かつての「インタゲ」論議が日本国内のことばかり考えて、結果的にグローバルな過剰流動性を作り出した愚を繰り返してはならない。
08年のノーベル経済学賞受賞が決まった米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授が14日、ニューヨークで記者会見した。深刻な世界不況が始まっており、米国では政府による60兆円規模の経済刺激が不可欠と強調。今は常識が通用しないときだとして大胆な対策を訴えた。主な内容は以下の通り。
経済の数字は日ごとに悪化している。すべてが、がけから転がり落ちているようだ。消費支出、小売販売額、失業保険の申請・・・。様々な指標を見れば、我々が世界的な大不況に突入しつつあるのは明らかだ。だから、多くの対策が必要だ。米国の失業率は来年末までには8%か9%程度まで悪化するだろう。一方、完全雇用状態を示す失業率(自分に合う仕事を見つけようとするための失業などを除いた失業率)は5%程度と見るのが妥当だ。実際、この10年で2度、インフレを起こさずにその水準まで下がった。
失業率の変化と国内総生産(GDP)の関係をしめす「オークンの法則」を使って大雑把に計算すると、米国は、GDPの7%分も生産額が足りないという状況に直面しつつある。このギャップを埋めるには、巨額の財政支出による景気刺激が必要だ。「乗数効果」を計算に入れてもGDPの4%(約6千億ドル)の支出でも、まだやや足りないと思う。
こんな数字を言うと、人々はあごが外れるくらいに驚くだろう。しかしこれが現状なのだ。普通の不況ならば、財政がすべての重荷を背負う必要などない。連邦準備制度理事会(FRB)による利下げで間に合う。
しかし今や、利下げは限界に来ている。(政策金利の誘導目標になっている)フェデラルファンド金利が0.29%まで下がる例も出てきた。アナウンスはされていないが、すでに日本で採られたような「ゼロ金利」政策が事実上実施されているようなものだ。だから巨額の財政出動が必要なのだ。
その支出を何に使うのか。必要な刺激は非常に大きい。十分な使途を見つけるのが難しいくらいだ。基本的には、考えつく限りの事が出来る。インフラへの支出や州などの地方政府への補助、失業手当の増額。低所得者向けの医療保険を拡大したり、失業者にも医療保険を適用したりする事も挙げられる。これらはすぐにできることだ。
一方、医療保険を全国民に広げる法案は施行に時間がかかるので、刺激策には含まれないだろう。グリーンな(再生可能)エネルギーや環境への投資も有効だが時間がかかる。即効性が期待できるのは道路などのインフラ整備だ。たとえばハドソン川をくぐる2番目の鉄道トンネルなど、計画中のものを前倒しする事も出来る。
こうした支出をすれば、政府部門の債務がGDP比でかなり上昇する事は確実だ。しかし、今は債務の増大を心配すべきときではない。
合理的判断のできる政府を持つ先進国なら、高水準の債務残高に相当期間は耐えられる。日本がそれを示してきたし、ベルギーも債務膨張で混乱するような事態に陥ってはいない。いずれはもっと多くの財政収入が必要になるのだが、それすらも今は心配すべきではない。
ゼネラル・モーターズ(GM)などの自動車産業を救済すべきかどうかは、極めて難しい問題だ。もし救済すれば、ここに至った経営の失敗を今後も続けさせる事になる。しかし一方、この危機のさなかに自動車メーカーが消えていくのは避けたい。正しい事でも今はなすべき時ではない、という事もあるのではないか。
金融政策が影響力を失い財政政策しか残っていないと言うのは、「不思議の国のアリス」の世界だ。この世界では貯蓄を高めるのが悪い事で、健全な財政も悪い事。逆に完全にムダな政府支出が善いこと。「あべこべの世界」だ。ここには長くいたくない。
「奇妙な経済学」を永遠に続けたくはない。しかし我々は今そこにいるのだ。完全雇用に戻りフェデラルファンド金利が5%になれば、もとの世界に返れる。しかし、今は違うのだ。
世界不況を克服するには、G20のような国際協調によるグローバルな景気刺激策が必要だが、残念ながら当事者能力を失ってるブッシュ政権の下では力強い合意は期待できない。米国も中国も財政による景気刺激策をとる方向には進んではいる。しかしたとえば各国が一斉にGDPの3%に相当する景気刺激策を採るといった合意は、すぐには望めないだろう。
我々は新興経済諸国の危機にも直面している。少なくとも97年の通貨危機に匹敵する規模の危機だ。先進国の危機対応に追われがちだが、通貨や信用の危機、突然の資本流入の停止などの深刻な事態に対応しなければならない。
国際通貨基金(IMF)の改革も大きな課題だ。IMFは数十年にわたって、世界のパワーを反映した運営がされてきた。90年代には米国の政策を広める機関のようにみなされてきた。本当はより独立した機関が必要だが、ともかく現状よりましな機関にしなければならない。今は危機に陥った国々に対する国際的な「最後の貸し手」がかつてなく必要とされているときだ。
こうした危機になれば、アジア通貨基金をつくればいいとか、欧州連合(EU)の事には口を出さないでくれとか、ワシントンの機関が牛耳るのは嫌だとか、いろんな意見が出ると思っていた。しかし、実際には、みんなが、IMFにしっかりしろと望んだ。これは興味深い事に思える。
米国はかつてのような覇権国ではない。貿易政策ではすでに長い間、EUと米国が並び立っている。米国は世界最大の国民経済であり続けるだろうが、10年か15年後には、米国、ユーロ圏、中国、インドが四つの大きなパワーになるだろう。世界はより複雑になっていく。最後に日本について助言するとすれば、「景気を刺激せよ、刺激せよ。ゼロ金利に戻れ」。これに尽きる。
弟に坂口安吾の「日本文化私観」や「堕落論」「続堕落論」を読んで、感想を聞きたい。
角川か新潮文庫の「堕落論」にも収録されてるけど、青空文庫に収録されてる。
「日本文化私観」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42625_21289.html
「堕落論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html
「続堕落論」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42619_21409.html
必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。一里二里は歩けという。五階六階はエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。真理は偽らぬものである。即ち真理によって復讐せられ、肉体の勤労にたより、耐乏の精神にたよって今日亡国の悲運をまねいたではないか。
――続堕落論
日本人が現代に於いて産み出すものが日本の文化なわけで、弟の伝統への固執も、姉の新しいコミュニティへ行けってのも、
どっちもあってるとは思う。
そうだよ。
言っていいなら、というか、じゃあ皆はそういうつもりで「勇気」を使ってない、ってことだよな。
じゃあどんな定義で「勇気」を使っているのか?
その辺突き詰めていくと、単なるトートロジーになっていそうなんだが。
辞書を引くと「困難や危険を恐れない心」と出ている。実際その意味でも「自殺なんて死の恐怖のりこえるなんて勇気あるよ」という文脈で使えてしまうわけだが……。
そんな自殺問題を語る時限定の「勇気」を勝手に使われてもな。しかもそれを開き直るように「そういう正規の使い方をすればそりゃ勇気があるってことになるよ」とか言う風にいわれてもあべこべだ。「勇気」の定義を自殺問題語る時だけ巧妙に形を変えているのはそちらではないのか。
呼吸がうまくできない時が時たま訪れる。
吸ってはいても、なんか、苦しい。吸いが足りないのか吐きが足りないのかもよくわからない
意識してやらないと呼吸ができなくて、
難しい。
それも意識して呼吸しても、なんだかうまくいかなくて、結果息をとめてしまう。それが一番楽なんだけどやっぱり止めたらよくないよね。
息を吸ったら腹が膨らむ、でいいんだよな??
息を吸って腹を膨らませようとすると逆に苦しくて、あべこべな感じになって、しまう。
腹をへこませると寧ろ吸いやすいけどその呼吸法は間違ってるんだよな??
数年前に、何かで腹式呼吸を知って以来、ずっとこうな気がする。気のせいかな。
腹式呼吸を知って、今までの呼吸法と腹式呼吸は真逆だった事に気がついて、これじゃだめだと腹式呼吸になるようにしようとして、息を吸ったら腹が膨らむ感じに練習してたんだけど、それがそうすると寧ろ息が入らなくて気持ち悪くて、呼吸があべこべになっちゃう感じで、うまく呼吸ができない。ハフ、ハヘッ……って感じで。それ以来、「あれっ??無意識に呼吸ってどうやるんだっけ??」ってわかんなくなっちゃった。無意識にしてると息を止めちゃってる。大抵。ていうか無意識な状態がそもそもあんまりなくて。
それが月一度くらい、ひどくなって、意識しても全く呼吸があべこべになっちゃって常に酸素がたりなくて息苦しい、でも吐いたほうが気持ちいい、っていうよくわからない状態になって、ハー、ヘー、ハーってなってて、でその内治るんだけど
ふと今書いてて、もしかしてこれって自分の癖レベルじゃなくて病気なんじゃなかろうなと思ったんだけど、でもやっぱりそんな事はないだろうと感じる自分の方が強くて、そして呼吸が今もしづらい。呼吸ってどうするんだっけ??なんか、呼吸に限らず、「歩くってそういえばどうしてるんだっけ?」って、今まで出来たことを考え出すと途端にできなくなってしまう。それが一時的じゃなくて結構ずっと。なんか俺どんどん生き辛くなってるなあ。