はてなキーワード: 釧路とは
岡田も岡田で結構危うい気がするけどね。西松建設のサイト見ると分かるけど、西松建設ってかなりの数のジャスコやイオンの建設手がけてるもん。
http://www.nishimatsu.co.jp/cnstrct/ken/com/list.htm
名前にジャスコ、イオン、サティ(元マイカルグループで今はイオンの子会社)と名の付くものだけでもこれだけ西松建設に仕事が割り振られてる。これを多いと見るか少ないと見るかは微妙なラインじゃなかろうか。
企業間の取引だからどこがどこに仕事依頼しようが原則自由だけど、その際に何らかの「配慮」が無かったのかと一度でも疑われたら逃げ切れるかどうか未知数。本件とは別のゼネコンならともかく、渦中の西松建設って所が特に。
仮に何らかの爆弾が炸裂したら、小沢のような金権政治のスペシャリストでもなく麻生のような図太さも持ち合わせていない岡田ではもたないだろうな。とはいえ鳩山由紀夫や菅直人は資質的に論外だし、党首経験者で唯一現実志向な前原では社会党の残党が言う事を聞かないのは目に見えてる。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html
痛いニュースとはてブコメントを見ていて、ふと小学・中学の頃同じクラスにいたアイヌのA君のことを思い出した。
今から大体10年前、北海道の東のほう(帯広より東だけど釧路よりは西)の田舎町で起こったことを書いてみようと思う。
A君とは小3から中3まで7年間同じクラスだった。田舎の学校だからクラスが3つしかなく、何年も同じクラスになるのは珍しいことではない。
小6のとき、担任の先生が授業でアイヌ文化の話をしていた。そのとき、先生がうっかり「A君はアイヌ」と口を滑らせてしまった。
それから…クラスの男子が陰でA君のことを「アドッグ」(→a dog→あ、犬→アイヌ)と呼ぶようになった。
小学校時代は特にイジメがあったわけでもなく、こういう陰口だけにとどまっていた。
その後、小学校を卒業し中学校に入学した…田舎だからメンツは全く変わらず。
中1の時は担任・副担任・クラスメートともに恵まれ、特に問題もなく毎日が過ぎていった。
そして、クラス替え…小学校時代に「アドッグ」とか言っていた人の多くと同じクラスになってしまった。
中2の秋頃、アイヌとは関係ないことがきっかけでA君を無視することになった。
それは自分含む友人3人で決めたことなのだが、その話は翌日にはクラス全体に広がっていた。
A君の死角から誰が言ったか分からないように「アイヌキモい」と言うとか……
公衆電話からA君の家にイタズラ電話をかけて「アイヌ!」と大声で叫ぶとか……
とにかくやりたい放題やっていた。それでもA君は毎日学校に来ていた。
中3になると事態はさらに悪化した。A君に対するイジメがどんどんエスカレートしていった。
誰かの持ち物がなくなったときにはA君のせいにされた。わけもなく不良に顔面を殴られた。
学活と道徳の授業はA君イジメ問題の話で全て潰れた。臨時の学年集会もあった。
A君は小学校から毎日休まずに学校に通っていたのだが、中3になってからついにその記録が途絶えてしまった。
修学旅行の班決めも難航した。A君をどこに入れるかで5時間くらい話し合った。
結局、行動の班は俺とA君を含めた6人、宿泊も1日だけ同じ班となった。
その修学旅行の夜にA君と仲直りした。なぜここで仲直りできたのか、今でもよく分からない。
やがてイジメは終息に向かっていった。A君を無視する人もわずか数人になっていた。
その後、A君とは仲良くやっている。ただ、俺の母親とA君の母親の仲は今も悪いままだ。
A君は高校→大学と進学し、現在、東京で働いている。彼女ができたという噂も聞くが真偽の程は定かではない。
大学時代にA君に会ったとき、俺より服装に金かけている感じがしたから彼女がいてもおかしくないとは思うけど。
実は同じ学年にもう1人アイヌ民族の人がいた…この人はB君としておこう。B君はA君とは違ってイジメを受けていなかった。
というのも、B君は不良グループに属しており、イジメたら痛い目に遭うことがわかっていたから。
B君とは中1から中3まで同じクラスだった。B君はいつも下ネタばっかり言っていたような気がする。
A君のイジメには不良グループも多少は関わっていたけど、B君は何もしていなかったと思う。
B君は300点中30点取れば受かると言われている地元の高校に落ちてしまい、高校進学を断念。
それから、成人式や同窓会でB君には何度か会ったけど、何とか仕事はしているようだった。
去年のある朝、母親から電話がかかってきた。「B君がNHKに出てるよ」と。
急いでテレビの電源を入れてみると…民族衣装を身にまとったB君がインタビューを受けていた。
B君は町のアイヌ文化保存会のメンバーとして活躍しており、そこにNHKの取材が入ったらしい。
合計80人の学年にアイヌの血を引く人が2人もいたというのは非常にレアなケースだと思う。
アイヌであるがためにイジメられたA君と、アイヌであることを誇りに思うB君……
A君は体格や性格に問題があるような人ではない。アイヌでなければまずイジメなんて受けていなかったと思う。
また、B君が不良グループに属していなければA君と同様にアイヌであるためにイジメられていたかもしれない。
アイヌ差別が存在しないのならば、このイジメもなかったことになるけど、
俺はA君イジメに加担していたことは覚えているし、一生忘れることはないと思う。
一昨年の話し。
秋の北海道パックツアーに参加して釧路で一泊したとき、「涼宮ハルヒの憂鬱」DVDの初回限定版が店頭在庫で残ってないかなーと思ってCDショップを探したんだが、全く見つからない。
歩いて歩いて、ダイエーみたいなショッピングセンターを見つけたんでCD屋が入ってないかと思ったら、本当にCDコーナーみたいな一画だけのCD屋さんがあった。
店主に「CDショップ、ないんですかねー」と質問したら、どこも郊外に出て行ってしまったとのこと。
釧路よ!釧路。そりゃ昼にガイドさんが人口流出を嘆いてはいたけど、何万人都市だよ!
地価だって安くはないだろうけど、東京とかに比べたら大したことないだろーに(これは俺の想像)。
釧路市民が、少なくとも駅前周辺の土地でCDショップの経営が成り立つほどには音楽に執着していないんだなーと思いました。
他の都市でも似たようなもんで、CDショップは郊外に郊外にと場所を移動してるんだろうね。
「『鬼は外』の鬼は、最終的にはどうなるんだろう?」という疑問を連想するけど、みんな呆れて返事をくれない。(^^;)
http://anond.hatelabo.jp/20080904210047 の元増田、MIZです。
返信が必要なトラバやコメントが増えてきたので、1回だけ失礼。
>元増田さんへ
自分語りが過ぎて文意が伝わらなかったら困るので改めて書くと、あなたの今の絶望感や無力感でさえ、いずれは糧となる貴重な経験だったりするのです。
ギリギリまで追い詰められた人の精神状態をわかってあげられるのは、マッチョな人じゃたぶん無理。いつか他の人の味方になってあげてくださいね。
とりあえず、あまり自分を追い込まないで、マイペースでなんとか切り抜けてください。
無責任なことしか言えないけど。
>なんかよくわかんねーけど笑えるな、変にリアルで (笑
まあ、全部事実ですしね。
平凡な人のつもりでいたけど、いざ書き出してみると意外と無茶苦茶でした。
>MIZさんだろ、これ。
正解です。ところであなたは誰ですか?
増田で聞くのも野暮だけどけっこう気になる。
>その文房具屋にはお世話になりました。
これはすごい偶然。世間って狭いですね。
まさかこんなところで10年近くも前にやってたサイトの話が出るとは思わなんだ。
ちなみにサイトが無くなった理由は、店の名前でそういう駄文を書き散らしていたためだったりします。流石に怒られた(笑
>何歳か知らないけれど
今33才です。
まさに http://anond.hatelabo.jp/20080906010443 さんの言っていることと同じ感想ですね。
北海道にはそういう考えの人が元々多いように感じます。移民の国だからかな、きっと。
>セルクマ
書いてるうちに「どうせこれバレるなあ」と思ったので、まーいいか、と。
>実家がある程度裕福
所詮は過疎の町外れの小さな文房具屋なので、裕福とは言い難いのですけども、なぜか暮らせてますねえ。
T君の方はほとんど一家離散状態のようで、そういう意味で自分は幸運なのは確かです。
>いいタイトル
皮膚がんの危険性があるそうですが、そんなことより私は日常生活を重視します。
>俺の小切手140$返せw
すみません、今となっては彼とコンタクトの取り様がないw
しっかりしているように見えたあの人にも波乱はあるんだなあ、という感想でした。
>主演オダギリジョーにて映画化決定!/てかブログで書くべき。書いてください!
うわ、これで絶対顔晒せなくなったw
田中耕一となだぎ武とモルダー役の人に似てると言われた芋っぽい顔の人ですよ私。
ブログはそのうち気が向いたら。
>いい両親といい出身地
パソコンやネットにはまり始めた時も、最初こそ文句を言ってたけどもそのうちあきらめて放置してくれたのは確かに感謝かも(成果が徐々にお金になってきたためでもあるけど)。
出身地に関しては、人もそうだけどやっぱり自然が。
多少いやなことがあっても、北海道の馬鹿みたいに青い空の下で車を走らせてると忘れちゃうのです。
>受け入れてくれる田舎の描写
過剰に立ち入ってくるわけでもなく、それでいて存在を認めてもらえているところが助かってます。
最後にパソコンサポートを強調した理由がそれで、自分は商売でお邪魔しているのに本当に感謝されて、最後になんかサポート代の他に野菜とかもらったりして。
心情的にはDr.コトーに近いです。コトーと違って駄目人間ですけど。
だって誰も軽蔑できるわけないじゃないですか。自分自身が最悪の駄目人間だったのですしw
それにしても、旅行の後でダージリンで買った紅茶を1個土産に持って工場の上司に謝りに行った自分はやっぱり相当クレイジーだったと思う。
職場をバックれた自分の経験が少しは役に立てるかな。
ちょうど10年前の話。
自分の場合高卒だけれども、能力自体にはそれなりに自信があった。
高二の時にやった知能指数検査で、あとで一人だけこっそり結果を教えてもらえた。
学年一の結果だったそうだ。
先生としては褒める目的ではなくて、むしろ「なんで能力があるのにやらないんだ」という発破的な考えで教えてくれたのだが、なにしろ若いので、単にその上っ面の数字だけを見て舞い上がる。
(ていうか学年一でIQ124って低レベルすぎだろw)
そして「大学入試なんて単なる短期記憶能力のテストと根性試しでしかないじゃないか」と変な方向に悟り、上京してデザイン系専門学校へ。
が、無駄に高いプライドのためにロクに友達も出来ず、アパートに半ば引きこもり状態に。
水道・ガス・電気すべてが止まり、半年風呂に入らないこともあった。(当時、地元から遊びに来た元同級生は「浮浪者寸前」という感想を持ったそうだ)
深夜に半額になるパンを買いに近所のスーパーに徘徊する日々。
結局家賃を溜めてしまい、消費者金融から5万を借りてから退去。
工場の雇用試験の時もなんか知能指数検査っぽいことをやらされて、その時も試験官に驚かれた。
が、もうその時点で自分の能力などにはこれっぽっちも自信を持っていなかったので、かなりどうでもよかった。
コピー機の検査の仕事で寮に入り、期間工とはいえそれなりにいい給料をもらってた。
寮も個室でクーラーつきだし、工場の食事も格安で、待遇に不満は何もなかった。
友達がそれほど多くはないが、もともとそれほど人と付き合うのが好きではないので別にかまわなかった。
その数少ない友達の中に、自分の運命を変えるきっかけとなったT君がいた。
旅行好きなT君は、今までもオーストラリアにワーキングホリデーに半年行ったりするなど、チビで華奢なメガネ男子の外見には似合わず妙にアクティブな行動を取る性格。
でも基本的には気が弱く、人との共同行動を好まない。
類は友を呼び、彼とはいまだに友人である。
工場で働きだして約半年後。そのT君が、どこかに旅行に行こうと言い出した。
普段飲まない酒を珍しく飲んでいた自分。気が大きくなり、
「いいねー。どこにする?」
「インドに行きたい」
「トランプで決めよう」
トランプにそれぞれの行きたい所を半分づつ書いて、混ぜて1枚引く。
Tは全部インドと書いた。
そして当然のようにインド行きが確定。
さてここで彼の変な行動力が出る。
自分自身の工場への退職願いもとっとと出して、ビザの申請などもテキパキと済ませる。
それだけではなく、話半分のつもりでいた俺の分の航空券まで手配した上に、旅行代金は任せろとまでいう。
自分自身の金ならともかく、30万近い金を無駄に散らせてしまうのもあまりに悪い。
しかし自分は彼と違い、職場の上司にもまったくそのことを言っていない。
そのまま当日まであっという間に時が過ぎた。
どこまでも強引なTの手伝いにより仮住居(Tの友人マンション)に荷物を運んだあと、私は携帯をぶっちぎり、そのまま海外に飛んだ。
安宿のバルコニーで圏外表示の携帯電話を見て、「なにやってんだろーいいのかなー」と途方に暮れまくる俺。
そしてとっとと一人でインドに旅立つ友人(ビザの関係で自分は数日遅れの出発)。
英語もわからぬまま一人取り残される俺。
インドには約1ヶ月いた。
帰りのチケットの期日だけはしっかり覚えて、わけがわからぬままにそれなりに自由に動いてた。
駅で絵を描いて人を集めてみたり、北の山奥にあるダージリンに行ってみたり。
結局、Tに再開したのは帰国当日の空港だった。
帰国後、今までのツケは当然ながら来た。
しまいにはぶち切れた居候先の人に、借用書つきで追い出される。
彼に対してTは文句を言っていたが、自分としては追い出されて当然だったと思っている。
(ちなみにその彼はその後、今から数年前にAdsenseの小切手換金サービスを途中でバックれて警察沙汰になったようだ。そのサービスを彼が運営しているとも知らずに自分が使っていたということを知った時には声を上げるほど驚いた)
いよいよ行くところが無くなった自分、実家に帰ることにした。
バス停に降り立った時点で残金は数百円。
家に戻ると、親父が洗車していた。
50代だというのに白髪だらけだが、元気そうではある。
なんと声を掛けたかは覚えていない。
が、怒鳴り散らされるわけでもなく、両親も姉もなんというかいつも通りという感じ。(いつもといっても数年ぶりの再開なんだけど)
空いている部屋で、泥のように眠った。
その後、免許を取らされたり。
長年苦しんでいたアトピー性皮膚炎に特効薬が出来て、外見的コンプレックスがやっと消えたり。
T君に送ってもらったPC-9821CeになんとかWindows95を入れようとしてもがいているうちにいつの間にかパソコンを覚えたり。
商工会の課長さんが自分を信頼してくれて、商工会のホームページやパソコン教室の講師を任せてもらったり。
そして、地元でパソコンサポートをやることで、自分の存在価値をやっと見つけて。
それが、今は田舎の平凡な文房具屋のせがれの、昔あった出来事です。
でもきっと、まだまだいろいろあるんだろうと思う。
これだけいろいろなことがあっても、自分は一度も死にたいと思ったことがない。
きっと死ななければまたいいことがあると思う。
気象台 | 月/日 | 気象台 | 月/日 | 気象台 | 月/日 | 気象台 | 月/日 | ||||
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稚内 | #N/A | 輪島 | 07/21 | 銚子 | 07/28 | 大阪 | 07/19 | ||||
留萌 | #N/A | 相川 | 07/23 | 津 | 07/20 | 和歌山 | 07/27 | ||||
旭川 | #N/A | 新潟 | 07/15 | 浜松 | 07/15 | 潮岬 | 07/28 | ||||
網走 | #N/A | 金沢 | 07/17 | 静岡 | 07/22 | 奈良 | 07/14 | ||||
札幌 | 07/25 | 富山 | 07/19 | 東京 | 07/27 | 厳原 | 07/29 | ||||
帯広 | #N/A | 長野 | 07/20 | 尾鷲 | 07/23 | 福岡 | 07/10 | ||||
釧路 | #N/A | 高田 | 07/09 | 横浜 | 07/27 | 佐賀 | 07/15 | ||||
根室 | #N/A | 宇都宮 | 07/22 | 大島 | 07/06 | 大分 | 07/16 | ||||
浦河 | #N/A | 福井 | 07/18 | 八丈島 | #N/A | 長崎 | 07/16 | ||||
函館 | 07/29 | 高山 | 07/19 | 西郷 | 07/18 | 熊本 | 07/11 | ||||
青森 | 07/30 | 松本 | 07/22 | 松江 | 07/18 | 鹿児島 | 07/18 | ||||
秋田 | 07/19 | 前橋 | 07/31 | 鳥取 | 07/15 | 宮崎 | 07/12 | ||||
盛岡 | 07/28 | 熊谷 | 07/22 | 浜田 | 07/14 | 福江 | 07/26 | ||||
宮古 | 08/02 | 水戸 | 07/23 | 京都 | 07/21 | 松山 | 07/15 | ||||
酒田 | 07/21 | 敦賀 | 07/16 | 彦根 | 07/21 | 高松 | 07/27 | ||||
山形 | 07/19 | 岐阜 | 07/17 | 下関 | 07/11 | 高知 | 07/13 | ||||
仙台 | 07/23 | 名古屋 | 07/13 | 広島 | 07/17 | 徳島 | 07/19 | ||||
福島 | 07/25 | 飯田 | 07/22 | 岡山 | 07/14 | 名瀬 | #N/A | ||||
小名浜 | 07/24 | 甲府 | 07/23 | 神戸 | 07/19 | 那覇 | 06/11 |
理科年表より。
http://anond.hatelabo.jp/20070805060211が自分の居住地を書かないのがいけない!(だから頼まれてねぇって自分!)