「輪廻転生」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 輪廻転生とは

2009-06-09

中国チベット支配のえげつなさはとどまるところを知らない。

パリ名誉市民に輝くダライ・ラマ猊下、身辺に慌ただしさが滲む。「後継者は私の存命中にあるかも、外国人かもしれない。女性の可能性も」

ダライ・ラマ十四世の後継は、チベット仏教では形式的にパンチェン・ラマが指名する。

実際には法王崩御から四十九日以後に輪廻転生があるわけだから、霊性に優れた赤ちゃんを、生前の法王の発言などのヒントに基づき、ブレーンらがチベット地区(現在チベット自治区に限らず四川雲南青海省など、伝統的なチベット人居住区)をくまなく探し求めて、何人かを選抜して或る場所に集め、四歳か五歳に成長してからの霊性、知性をみて最終的に選び出す。

生前、「湖畔のほとり、山の緑ふかい場所」とかのヒントの集積による。

しかし、チベットは1951年に中国共産党に侵略され、夥しい僧侶が殺され、チベット寺院の多くが破壊され、先代パンチェン・ラマ北京に幽閉されていた。

1995年にパンチェン・ラマ後継をダライ・ラマ法王が選ぶと、その指名されたニマ少年を両親ごと中国は突如拉致し、どこの馬の骨だか分からない少年洗脳して「パンチェン・ラマ」をいま名乗らせている。

行方不明の霊童=ニマ少年は、いま生存していれば20歳になる。

中国が“指名”した「偽パンチェン」は昨今、中国全土を行脚し、「私は共産党の指導の下で、仏教を説く」と講演して歩くため信者の中に失望が生まれている。

チベット仏教輪廻法則では、この「偽パンチェン」が次のダライ・ラマ十五世を選ぶことになる。

そうなれば中国共産党が指令、指示するがままの傀儡祭主誕生することになる。

あまつさえ共産党は07年に「次期後継のダライ・ラマは最後に共産党承認が必要」という法律勝手に制定し、人事権とごっちゃに後継指名権を把握したつもりでいる。 

 

民族伝統破壊し、自決権を奪う

チベット亡命政府のなかには、ダライ・ラマ十四世の穏健主義に反発し、独立をもとめるチベット青年党の存在が確認されている。

だが現在ダライ・ラマ猊下インド亡命してすでに半世紀が経ち、十四世の後継問題は、いよいよ深刻になってきた。

法王は七月に74歳になり、近年は病気がちと伝えられている。

最近法王は「次期後継者外国人かも知れないし、チベット以外の場所で育った者かも知れず、いや女性であることもある」と発言した。

ヘラルドトリビューンに拠れば、「後継者選びは私の存命中に行われる可能性もある」と示唆したという(6月9日付けIHI、一面トップ)。

政治伝統と衝突」と同紙は語彙を選んだ。

当面、インド亡命してきたカルマパ十七世が、ダライラマ法王のもとに仕えており、周囲に拠れば、カリスマ性がともなっているという。カルマパ十七世は北京政府が指名した経緯があり、99年に亡命した。いま24歳。

「かれはおそらく後継が正式に決まるまでの暫定期間、精神指導者の役を演じるだろう」(NYタイムズ)。

最悪のケースでは「ダライ・ラマが二人、この世に現れることになる」。まるで南北朝の再来、中国チベット支配のえげつなさはとどまるところを知らない。

2009-04-28

7年前は別人

人間細胞は7年間でほとんど入れ替わるらしい。

だから7年前の写真と見比べたらその違いがハッキリわかるかもしれない。

ある意味7年前はほぼ別人だということなのかな。

だけどふと疑問に思うことがある。

体は入れ替わったとしても記憶や知識が入れ替わらないのはどうしてなんだろう。

それは脳みそが入れ替わらない部位に該当するかららしい。

だから体は変わっても脳みそは変わらないということらしい。

つまり体は普通の生活をしてればほったらかしても変わっていくけど

脳みそはほったらしにしてもそのまんま。

脳みその成長は同じ7年間に如何に知識や経験を増やせるかにかかっている。

体ばかり大きくなった子供のような大人や大人のようにませた子供がいるのがよく解る。

体と脳は別系列で進行しているものなんだろう。

だから古い人は霊魂だとか死後の世界だとかを信じたんだろう。

僕は無宗教スピリチュアル的なものに一切関心がないが持論はある。

輪廻転生とか前世とか来世とか霊魂とか死後の世界とかは人間創造物で実在せず

現実に置き換えればそれはすべて「子供を生み育てること」だと思う。

子供を産んだ時点での分け与えた遺伝子と成人するまでの育成方法と育成環境

その過程において元は自分と同じ細胞だった子供がどのように変化するのか。

良い方向に変化することもあるし悪い方向に変化することもあるだろう。

自分子供も7年経てば自分とはほとんど違う。

それが2回繰り返して14歳になれば尚のこと離れていくだろう。

自分の正の部分も負の部分も受け継いだ子供が どちらを増幅させるかは解らないけど

どうせ自分は朽ち果てていくのだから

受け継いだ命がその子なりに自分を変化させていくことに

その子も自分も生きていく意味があるんだと思う。

そう考えた時、僕は自分の親を許すことができた。

僕の親だって自分が幼い頃は今の僕と同い年か年下くらいだったんだ。

その若者が100%正しい親になれるはずなんてないだろう。

今の僕が大人になりきれていないのと同じように当時の親だって大人になりきれていなかっただろう。

僕が大人になるにつれて虐待がなくなったのは僕が大人になっていったからじゃない。

僕の親が大人になっていったからなんだ。

2009-04-06

小学生のとき

満開の桜を見るとどうしても、それが散るときの事を考えてしまう。

  

小学生の頃から自分存在に対する不安漠然と抱えていたんだ。

例えば風呂に浸かりながら突然、死について考えたりするわけ。

  

もう具体的なイメージじゃなくてもっと観念的なものなんだけど、死んだら無になるのかな。

それとも魂のような自分のコアみたいなものがあって、それが永遠に輪廻転生するのかな、って。

そこで無と永遠の二択を突きつけられてた。 

 

どっちも想像してみるんだけど、完全なる無は知覚できないし、永遠輪廻転生だってそんなもん想像力の外にある。

でもいつかそれが自分の身に降りかかるのだと考えると、どうしようもなく怖くなってしまう。

少なくとも数十年先に確実に突きつけられるその選択を待つしかない自分はなんなのだろう、と考えてみたり。

 

そういう不安とか、一時的で不安定な感じは、延々と落下し続ける紐の切れたエレベーターに乗っているようなもので、

あのふわっと宙に浮くような違和感をずっと抱えているのかもと今もふいに考えたりする。

  

逆に自分を中心に考える時もある。

自分意識が消えているとき、世界がそこにありつづける確証なんてないじゃんよ、って。

自分意識が無に還るならば、その周囲というか世界全てが消えて無くなる、みたいな世界観を延々と検討してみたりしていた。

簡単に言っちゃえば見えてるものは全部幻で、全部夢で、その可能性を自分は否定しきれないな、って。

  

で、至った結論は、皆少なからずそういう疑問に直面しながらも上手くやっているのかもしれない、ってこと。

 

自分以外はそんな疑念や疑問を感じない、そもそも意識を持ってるかすらもわからないもんな。

そういう立場も勿論ありうるんだけど、でもどの仮説が実際に生活する上でベターなのか。それくらい、小学生にだってわかる話。

 

でもそういう自分意識世界のあり方に対する疑念は、勿論しばらく忘れたりもするけど、解消しないままだ。

いくら考えたって答えなんてわかりっこないって事も十分承知しているんだけれど。

 

ふと思い出したんで書いてみた。

2009-03-10

私の夢は,煩悩を滅しつくし輪廻転生の輪を断ち切って涅槃寂滅することです。

2009-01-23

生まれるのがちょっと早すぎた

最近就職活動をしていて、自分が本当にやりたいことがわかった。

ガンダムに乗ることだ。

現代の科学では実現できないことが本当にやりたいことだったのだ。

終わった・・・・

せめて来世ではモビルスーツができていたらいいな。

できればスペースノイドに生まれて地球の美しさに感嘆し、重力の重さを噛み締めたい。

ついでにニュータイプだったらもう最高。

世界中のいろいろなニュータイプの方々とキュピーンしたい。

強化人間には同情をくれてやる。

うん、やっぱり自分が乗るモビルスーツザクとかジムがいいです。

ガンダムとかモビルアーマーに乗るときっと調子にも乗ってしまうでしょう。

ああ、わかってます現実逃避ですよ。

でも、ガンダムには一度でいいから乗ってみたい。

だから、子供ができたらミノフスキーって名前をつけて学者にしようと思う。

そいつがもしかしたらなぞの赤い粒子を発見してくれるかもしれない。

そしたら輪廻転生したおれがそいつのおかげでできたモビルスーツに乗ってやるんだ。

でも、こんな怠惰な俺だから来世に人間に生まれているかわからない。

豚かもしれないし、ぬこかもしれない。

はっ!もしかしたらハロかもしれない。

ハロでもいいや。

2009-01-16

これって、空眼ぽいのかな?

http://anond.hatelabo.jp/20090116090907

仏教詳しくないけど、そんな感じがした。

その考えだけでいくと別に何の問題もないけどなぁ。

そこに輪廻転生思想が混じるとオウムになるよ。

2008-12-13

宗教に興味がない人でも分かる仏教入門

最初に言っておくが、私はなんら仏教関係ないし信者でもない。ましてやキリスト教イスラム教新興宗教にも全く興味が無い。ただ仏教哲学には納得する部分が多いし人生の参考になるので簡単にまとめたいと思う。だから全く興味がない人や食わず嫌いの人に触りだけでもかじって欲しいと思い書きます。

そもそも現代の人は私を含めて宗教と聞くと胡散臭い洗脳など怪しいイメージが強いから拒否反応が自動的に働くと思います。しかし、そういうイメージがついたのは仏教キリスト教適当に模写し都合の良いように作りあげた新興宗教カルト教団のことを言います。例えばオウム真理教なんか日本代表である!つまり、仏教は胡散臭くも無く怪しくも無いブッタが一生をかけて考え抜いた精神世界の教えです。

ちなみに私は仏教本に関して、自己啓発本の一種としか考えていません。つまり仏教本を読めばモチベーションが向上する。ただそれだけです。しかし、知っているのと知らないとではこれからの人生生き方価値観は大違いだと思います。後、仏教と聞いて、お経なり墓参りや、お坊さんやお葬式など思い浮かぶと思うが、面白くないので触れません。私が興味あるのはブッタという哲学者が考えた知識です。

できるだけ専門用語は使わずまとめていきたいと思います。まず仏教といえば仏(ほとけ)様がイメージできますが、決して仏像の仏ではありません。では仏とは何かというと、悟った者のことを示します。

仏=ブッダ

ブッダとは「ブッダ」という名前ではなく悟った人のことを言います。それで「悟る」とはサンスクリット語でブッドゥッといい、その過去分詞がブッダ、つまり悟った人なのですね。とりあえず、ふんふんと頷いといて下さいwでは仏教を始めた人は誰か?ブッダと呼ばれるものは誰か?

ゴータマ・シッダールタ」  この人がブッダであります。ちなみに仏教インドから広まったものです。これで分かるように仏は神みたいな絶対的存在ではなく、ただの人間であり、ゴータマ・シッダールタという悟りを極めた哲学者であります。この人の生きた時期は具体的には分かっていません。なぜならその当時のインド人に「いつ」の概念がなかったからなのです。だいたい紀元前5世紀くらいの人と言われていて、生まれた場所はルンビニーという所。裕福な生活をしていて結婚して男児もいて普通の生活をしていました。しかし、29歳のときに家族を捨てて城から離れ修行者として旅立つことに。つまり出家ですね。それから苦行を続け、やがてナイランジャナーの河のほとりで瞑想を開始します。そして、35歳で悟ったと言います。それからたくさんの弟子をかかえて享年80歳という長命で姿を消すことになります。それで亡くなってから、当時の弟子たちがブッダの教えで会議を行い文章として作ったのが「経典」であります。

まず仏教キーワードは「縁起」”えんぎ”。  是非この言葉だけは覚えて欲しいと思います。

縁起」とは人や事柄などが関係しあってお互いを支えていることを言います。例えば、ここに40歳男性がいるとします。彼は妻にとっては夫であり、子から見れば父、彼の親からすれば子である。会社にいけば彼は課長であり、オーナーから見れば従業員である。つまり、自分存在とは情報によって作り出されたものであり、あなた自身多くの人々の関係、周囲にあるあらゆる物との関係において、今のあなた自身でいることができる。だから、最初からあなた自身が存在しているのではなく名前という情報があり、住所という情報があり、職業などがあってこそ自分がなりたつ。つまり、他人が自分存在を示してくれる。逆にいうとあなた自身も周りを支えていることになる。こういう関係性を仏教では「縁」と呼びます。

もうひとつ知ってほしいのは<「空」”くう”です。

「空」とはそこに見えてるものは実体がないと考えます。ちょっとややこしいが、普通は実体があるからこそ人やものが存在していると考える。しかし、仏教では現象にすぎないと考えます。簡単にいえば全て幻と考え、起きることや物、人生、人すら実体のない幻と解釈してしまう。バカらしいと思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。例えばテレビ画面やパソコンの画面、映画スクリーンを近くでよーく見てみると、小さい四角や丸の集合体であることは知ってますよね、知らない人はテレビ画面におデコをつけて見てほしい。すると小さいドットが繋がっている状態でひとつひとつがいろんな色に点滅しているただの光の集合体というのが分かります。つまり実体のない幻といえる。物や人も素粒子レベルで考えると、点滅しているにすぎない、だからあなたも私も幻と考えることができるということなのです。ちょっと分かりずらいが、「空」とはすべてが現象と考えると分かりやすいと思います。

もうひとつ例えを出します。皆様は普段から牛肉を食べますよね。これって食べた後にどうなるか知っていますか?そもそも、食べるものとは”アミノ酸”だとか””コラーゲン”みたいに色々な分子が集合してできているのが食物で、それを体内に入れた時に分子に分裂して体中に分子が散ればめられてたんぱく質に変わり栄養として吸収され破壊されて行くのですが、ここで問題なのが牛肉は牛であり、人間と同等の生物ということです。具体的に言いますと、牛肉は分子の集合体ですよね、ということは、牛も集合体ということになり、故に、人間も分子や原子の集合体ということになるのです。、だから、人間も実体がなく現象であり「空」であるというのが仏教という哲学なのです。

ちょっと分からなくなってきたと思いますが、この2つセットが仏教の基本なので、先入観を少し置いといてこういう考え方もあると思ってくれれば結構です。補足ですが、瞑想と言う言葉を聞いたことありますよね、洞窟の中とか誰もいない森の中で永遠瞑想という修行をする人たちのことですが。なぜ、できるかというと全てが幻と思っているからです。どこにいようとも何をしようといいというわけです。これが究極の空です。

ちょっと話がそれますが、巷では占い師の方が「あなたの前世武士」だとか、死ねば生まれ変わるだの言われることがありますが、仏教では輪廻転生はないと考えているし来世も前世存在しない、自我も空だと考えています。つまり、体がなくなっても魂は来世に蘇り繰り返すという概念はありえない(正式には分からない)しかし、一部では霊がいるとか神がいるとか、輪廻するとかいうのが信じられています。まあ信じる分だけならいいのですが、それに付け加えて出てくる概念が、この世で苦しめば苦しむほど来世でランクステージ)が上がるという考え方です。インドカースト制度がこれ、ランクステージ)の低い身分の人はこの世で自分を苦しめ相手も苦しめることを現実にします。つまり問題なのは現世で苦しめば来世でランクが上がるという概念が怖いのです。

例えば、電車の中で騒いでいる若者がいたとする、こいつは人に迷惑をかけていてこのままでは来世でランクステージ)が下がるのでかわいそうと思い、早い段階で苦しめて殺しちゃえという考え方になり、ナイフで刺してぐりぐり苦しめて殺してしまう。この考え方がオウム真理教の「ポアの思想」。

もうひとつ例えれば、映画館で隣の男性がポップコーンをボリボリ食べていて人に迷惑をかけているとする。すると、前にも言ったがそういう人は現世で苦しめて殺してあげる、そして「来世でランクステージ)を上げて楽しく暮らしてね。」って感じで平気で人をナイフでぐりぐりして殺してしまう。刺されている人が「痛いよ!」って言っても刺してる側は全てが「空」だと思っているから、「この世には実体がない幻なんだから痛くないでしょ、何言ってるの」ってなる。これがオウムの「ポアの思想」で宗教を悪いことに利用したスピリチュアルな考え方です。

怖い考え方のキーワードは3つ

  1、ランクがある(麻原は最高ランクみたいに)

  2、輪廻転生がある(来世や前世存在する)

  3、現世で苦しめば来世でランクが上がる概念

現在テレビで人気の○木数子はかわいいもので彼女はただのオカルト。怖いのはスピリチュアルの○原氏。輪廻ランクがありきと考え、しかも視聴率が良い番組で堂々とわけの分からないことを言っているので、このままいくとオウムみたいになりかねないと私は危惧します。

話を戻しますが、人間には煩悩がたくさんあります。代表的なのでは睡眠欲、食欲、性欲、物欲、などなど、これらの煩悩をなくしてしまうのが悟り、つまり全てが空と考える概念を「空観」”くうがん”といいます。その逆が「仮観」”けがん”。仮観は煩悩むき出しでお金も稼ぐだけ稼ぐし、あれも欲しいこれも欲しい、その為には戦争もする考え方。みんなが仮観の考えでは世界は滅びます。逆に「空観」もみんなが考えるとやる気もないし何もしない、食欲もないし睡眠欲もないからこれも世界が滅びます。

じゃあどうするの?

そこで仏教ではその間の「中観」”ちゅうがん”という概念存在します。では「中観」とは何か。まず全員が「仮観」の考えかたをすると欲望を限度なく追求するから結局戦争になり人類が滅びます。次に全員が「空観」の考え方だと全てが幻と思っているからボケーっとして誰にも迷惑かけないけど何も進歩しないからこれも滅亡する。しかも「空観」にカルマ思想が入ると他人に迷惑をかける最悪のことになります。

それではダメなので昔に「中観」という概念を考えたナーガールジュナという人がいます。「空観」と「仮観」の間の「中観」。さっきの例で言うと、ポップコーンを食べている人はボリボリと人に迷惑をかけているが、その男性彼女映画を見にきていて彼女と楽しむことや、彼女を楽しませるなどやること、役割ががあると考えます、つまりその男性は機能をもっていて、デートいう役割を果たしている。すると矛盾が発生して殺してはダメになる訳です。

ちょっと話が脱線しますが、ブッダ弟子ブッダに対して「神はいますか?」「生まれ変わりはありますか?」という質問をした。その時にブッダが「毒矢の例え」で答えたという。「毒矢の例え」とは一人のひとがどこからか飛んできた毒のついた矢が胸に突き刺ささって苦しんでいて、その時にどこから矢が打たれたのか、この毒の成分は何なのか、何メートル先からか、ベクトル計算するとなど考える前に矢を抜けよってこと。つまり、ブッタは「霊」とか「神」とか「自我」とか考える暇があるんだったら他にやることあるだろ、だから「神」がいるとかいないとかどっちでもいいじゃんっていうのが結論。これが「空観」に機能(やる事)(役割)をもたせた考え、つまり「中観」。

私も「どっちでもいいじゃん」ってのが結論で、答えがでないものを考えるより他にやりたい事や、大切なことを楽しむ、そして人生有意義なものにできればと思いました。ただ仏教などの哲学全体を把握しての「どっちでもいいじゃん」と何もせずめんどくさいから開き直って、さも分かっているかのように「どっちでもいいじゃん」とでは雲泥の差があるので勘違いしないで欲しい。是非、皆様も仏教と聞いただけで邪険にするのではなく、知っていると悪徳新興宗教スピリチュアルなんかで高額なお布施などを払うことも予防できると思います。是非これをきっかけに仏教本でモチベーションを上げてみるのもいいのではないでしょうか。

言葉は「どっちでもいいじゃん」です。

2008-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20081110235852

あんまり気にしなくて大丈夫

むしろその韓国人キリスト教観の方が心配。

(韓)>でも敬虔なクリスチャンには、「イスラーム(?)が汚れの象徴の豚をキリストの聖女(主人公ジャンヌの生まれ変わり)に食わせようとしている」と映る。

手元にある「豚料理大全」にはフレンチの技法もイッパイ、なぜだろうねw

フランス人レビ記や申命記の戒律(コシェルってヤツね)を嫌い、

創世記にある神のありがたい言葉wを採用してる。

なのでイスラームはぜーんぜん関係ない。

以下、聖書はJSS版からの引用。新共同訳は探すのが面倒でね、すまん。

(旧約聖書)>

Gen 1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

Gen 1:28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

(韓)>ほかにもサブタイトルにいくつか性やら麻薬連想させるものがあってアウト。

いやいや、そもそも聖書記述が「性的恥辱を感じました」そのものだから。

ここでまた創世記第3章7節のありがたいお言葉

(旧約聖書)>

Gen 3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

Gen 3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

(韓)>イブ=ジャンヌ=まろん(主人公)という設定も完全にレッドゾーンらしい。

(韓)>仏教の考えである輪廻転生がなぜか使われていたりする。

(韓)>「これはクリスチャンぶち切れるよ」とのこと。

まあ確かに魂の継承輪廻という概念キリスト教からみれば「異端」だけど

(少なくともプロテスタントカトリックロシア正教ギリシャ正教はそうだろう)、

reincarnation や karma という言葉が一般的なくらいに神秘思想も知られているよ?

グノーシス思想ならばむしろ連中のほうが詳しい)

そもそも輪廻仏教思想じゃなく、元はヴェーダから来たヒンドゥー思想

種村輪廻ヒンドゥー的でも仏教的でもないけどさw

(韓)>たぶんイブは誘惑に負けてリンゴを食べた者なのに…。ってことかな?

イブが食したのが「リンゴ」であるという記述聖書のどこにも書いてないw

確かにヨーロッパで「知恵の樹の実」は伝統的にリンゴだとされているけど、

創世記の最初の舞台メソポタミア周辺の気候はリンゴ栽培にあんまり向いてないんだもの。

ヨーロッパ醸造された幻想のひとつだ。

(旧約聖書JSS)>

Gen 3:1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

Gen 3:2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

Gen 3:3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」

Gen 3:4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

Gen 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

ココはむしろ神自身がウソツキだったことを糾弾したくなる。

蛇の言ったことの方が事実だったんだから。

下の引用に至っては神の狂いっぷりがキモいくらいでw

神が自分を「われわれ」と呼んでいることにも注目!

これは多神教時代の名残の消しそこないで、「唯一神」の自己否定(w)が旧約聖書に載っている。

神の呼称のひとつ「エル」に複数形「エロヒム」が存在する理由でもあるw

(旧約聖書JSS)>

Gen 3:22 神である主は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」

Gen 3:23 そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。

Gen 3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

(韓)>ほかにも、(まあこれはこじつけ見たいにも思えるんだけど。)ロザリオの形がハーケンクロイツに見えるコマがあったり、

うん、こじつけ

スワスティカは「調和」「秩序」のシンボルとして十字架よりはるかに長い歴史を持つ。

キリスト教自身でスワスティカを変形十字架として使ってた例がある(コレ重要w)。

ここ数十年の反ナチという刷り込み、思想制御、言論統制の方が私には恐いね。

(韓)>それと韓国人が「子供の頃フランス人女の子ジャンヌダルクってあだ名を付けてからかったら、

(韓)>その女の子の父親がマジ切れして殺されかけた」ってゆってた。

日本人韓国に行って、韓国人に「ヒデヨシ」と呼ばれ続けたら俺も怒るw

これはジャンヌうんぬんが問題なわけじゃないぞ。

名前を無視されること、名前を尊重されないこと」を侮辱と感じただけジャマイカ

宗教概念すら「小道具」にして遊び倒せる下地が日本にあることはむしろ誇るべきことだと思うがね。

2008-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20080708010319

輪廻転生かなぁ。成仏するまで意思を持ち続けたら、叶うってことかなぁ。

2008-01-23

輪廻転生

 何年か前、小学生中学生を調査したら、彼らが死後の世界や生まれ変わりを信じているというニュースがあった気がする。それを僕ら大人達子供が謝った死生観を身に付けたのでないかと読み取って話題になったと記憶している。

 だが、世界には輪廻転生普通に信じている人もたくさんいる。それを考慮すれば、あのニュースは単純に子供らの死生観が変わったこととして淡々と受け取られても良かったはずだ。

 どうも僕ら日本人の大部分は、死んだらおしまい、生き返らないし生まれ変わらないという死生観にとらわれ、他の死生観想像できていなかったのではないだろうか。

 だから何だというわけではないが。

2008-01-17

新説?輪廻解脱ニルヴァーナ

僕は哲学とか宗教とか倫理観にちゃんとしたバックボーン(哲学科とか)がある訳ではないので、諸所の綻びがあるとは思いますが、お手すきの方に読み流して頂ければ……。

百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)とか「幼年期の終り」(クラーク)を読んでいて、輪廻転生であったり解脱に対してのちょっと角度の歪んだアプローチを思いついたので、メモがてら書かせて下さい。

『こんなん全然新しくねーよ!』な方は、既に語られてるそっちの説について教えて頂けると嬉しいです。読みにいきますw

以前はてなでバークリを教えて頂きまして、非常に楽しませて頂きました。今回も新たな発見に期待。

輪廻解脱ニルヴァーナ

解脱」っていうのは、一つ上の次元・階層で目覚めること。なんじゃないかと思ったんです。

例えば細胞って、それ自体生きてるし分裂という形で繁殖世代交代もするじゃないですか。だけど細胞たちは自分が「"僕"の細胞60兆分の1」である意識は無い。(…と、思う)

だから、僕らが"細胞"的な存在でない、とは言い切れないよなー。と時折思うのです。

"国家"(←これはちょっと違うか)とか"地球"が、"宇宙"にとっての心臓とか肝臓みたいなものかもしれないし、むしろ"銀河"がもっと上の何かの胃かもしれない?

個人的には、その"もっと上の何か"が「神」なのかなー、なんて思ったりもしますが。

だから"細胞"である僕らの1サイクルが終わったときに、次はその一個上の"僕"(仮に"神"としましょうか)の意識として目覚められたらいいな、と希望的に思います。

人間として死んで、人間に生まれ変わる("細胞"→"細胞")のが「輪廻」。

人間として死んで、上の階層に生まれ変わる("細胞"→"神")として目覚めるのが「解脱」。

……って解釈はどうでしょう?

2007-11-24

童貞勇気のなさよ

今俺は暗い家の中で、こうして日記を書いているわけだけど、世の中の俺と同い年のやつらはどれだけセックスしているのかな。俺は23で童貞で、女の子とまともに目を見て話せないし、女の子と接する機会もまるでない。美女が俺の前を歩けば、もちろんその尻をみてぶち込みたいとか思うわけだ。ぶち込みたいと思って、次の瞬間ぶち込めないとあきらめる。これは俺が恋を知らないからだ。いつもそうだ。女の子が俺と話す?手をつなぐことなんてありえるのか?手をつないだだけで、射精するぜ。キスなんて信じられない。唾液交換じゃんか。すごいね。ほらほら、でも世の中の大半のやつらはそれしてんだよな。全裸を見るんだぜ?見られるんだぜ?ありえないし、ありえてはならないよ。裸を目の前で、性器を見るなんて。男性器を舐めるとか、女性器を舐めるとか、もうリアルじゃないね。噂しか聞いたことないし、やったことあるやつには「どうだった?どうだった?」てしつこく聞くよ。だって信じられないもの。体で一番敏感な性器と性器がぶつかり合う・・・それがセックスだと。あと二回輪廻転生してもできるきがしない。だって、信じられないし、リアルじゃないもの。しかし、世の中の大半のやつは、これが俺にとって「ありえないこと」だということが理解できないんだろう。いつからそう思うようになったのだろう。気づけばそうなっていた。俺は気づけば、愛の螺旋からあぶれていた。竜巻のようにめまぐるしく回転している愛の螺旋を俺は遠くから見ている。そこではいろんな男がいろんな女と、出会っては別れ出会っては別れを繰り返している。俺はそれに背を向けた。入る勇気がないのかもしれない。改めて考えると俺は誰にも好きだといったことがないのだ。それにも理由があるのかな。しかし俺は人に愛していると言う勇気がないし、その中に入っていける自信もない。殺し合いのようだもの。でもさ、よーく見るとその中にはルックスも内面も俺以下のやつなんていっぱいいるんだよね。俺、恋の仕方知らないもの。矛盾するけど、恋はしたいんだ。いや、恋が!したいんだ。エロ動画見て、自慰してれば満足なんて思ったことないよ。こういう思考回路なのも童貞だからなんだ。いつか光が差し込むと信じてる。でもなにもしないのは、勇気がないからなのかな。俺はいつから自信をなくしたのかな。これは理解されるのかな。俺は恋を知らないから、女を見ると「こいつとセックスやりたい」しか思えないんだ。それは本当は恋がしたいんだ。射精の気持ちよさを理解した俺は、セックスにあこがれている。それは童貞で、恋を知らないから、そう思うんだ。じゃあ俺がしたいのはなんだ?セックスか?いや恋がしたいんだ。セックスをしたいのは当たり前だけどさ。俺が本当に求めてるのは恋愛なんだ。童貞エロ動画を重んじるんだ。勇気が出ないのは自信がないからだけど、保守的すぎるってのもある。自分でも本当につまらないと思う。変えたいから俺は変わるよ。風俗とかじゃなくてね。

2007-10-18

将来的に不死はなくとも不老はできあがると思う。

まぁ、そのころには宇宙航行とかそう言う時代になってるかも知れないから人口増加なんて考えなくても良くなってるだろう。

不老を手にすれば、殆どの人間は死なないと言っていいだろう。

そうなった人間は死についてどう考えるのだろうか。

永遠人生生きるために働き続けるのだろうか。

仏教人生は苦しみであり輪廻転生から抜け出し無に帰すことを目的にするというがそんな考えを受け入れる人なんてのは少ないんだろうな。

2007-05-20

[]無宗教は非合理的です

宗教にはどんどん入信すべきだよ。

信者の死後の幸福ってものは、たぶんほぼすべての宗教が教義に入れてると思う。

輪廻転生宗教にしても、ちゃんと信仰したら転生先は幸せですよ、って言うと思うのね。

ところで、我々は自分の死後がどうなるかについて合理的に判断することはできない。

だから、ある宗教保証する死後の幸福がホントかウソかは、せいぜい五分五分だろうと判断するのが妥当です。だって7:3とかって差をつける根拠がないもんね。

ならば、なるべく多くの宗教に入って、"真実の"宗教にアタる確率を高めておくのが、死後の幸福を得たいのならば合理的。

もちろん、ほかの宗教信仰したら地獄行きです、みたいに、多くの宗教信仰するのを妨げるような宗教は避けなくちゃいけない。

というわけで、現世で自分が宗教に費やせコストの範囲内で、なるべく多くの宗教信仰するのが、合理的判断というものです。

だよねっ、パスカルさん!

2007-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20070228225519

近年の人口爆発により、これまでの死者の総数よりもいま生きている人の数のほうが多くなってしまっている、という説がある。ここから、輪廻転生に必要な人間の魂の数が不足しておりいま生きている人々の多くはケダモノの魂しか持っていない

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん