はてなキーワード: 生活費とは
http://anond.hatelabo.jp/20090118083238 を書いた増田です。
もらえる生活費の額、TA/RAをもらってる人の割合は地域とその大学によると思います。確かに、全員もらえるわけじゃないです。ただ、やっぱりPh.Dコースのほうがもらいやすいはず。年間あたりのPh.Dホルダー数が、そのまま大学ランキングに跳ね返るから。私の友達にも、いくつか大学院に合格したけど、合格時の条件で、学費全額免除+TA/RAがついたところに行くことにしたって人がいます。全員がとれるわけじゃないけど、とれるよう努力するものだとは思ってます。
横から補足。
アメリカの理工系大学院でPh.Dコース(修士+博士課程5年間)を合格すると、学費全額免除+TAかRAをやるってことで生活費支給がつきます。人文系はちょっとわかりません。地域によって違うんだけど、TA/RAは物価が高い地域の場合、えーと、私のいる大学だと月に1900ドルぐらい出ます。そこから家賃、光熱費を引いても手元に毎月700、800ドルぐらいは残るので、贅沢しないで地味に暮らすことはできます。
修士課程だけで出願した場合、良くて2年間学費半額免除、TAが2年間。全く何も免除がつかない場合もあります。ただ、入学してから成績がよかったり、RAのツテがみつかれば2年間のうち、1年間だけ学費全額免除、生活費支給になったりします。どっちにしても、誰か※がサポートしてくれるもので、学費は全額払うものじゃないって感覚。
アメリカの大学院にいるとネックなのはキャリアフォーラムとか、結構就職活動の手段が限られること、インターネットで情報集めても、日本の雰囲気がわからなくなること、さすがに2年間とかこっちにいると、やっぱり合理的すぎるアメリカ人の感覚がはいってしまうこと。
私はアメリカにきてよかったと思ってるし、自分より優秀な日本にいる学生はいっぱいいるし、彼らはもっとアメリカの大学院に行ったらいいんじゃないかなあとも思うので、あえてこちらでの待遇について丁寧に書いてみました。
※誤解があるといけないので追記。ここで言う「誰か」に親、親族は入りません。誰か、というのは返済義務がない奨学金だったり、RAをくれる研究資金を持った教授のことです。アメリカでは、学費は自分で確保するもの、という思想が日本よりも強いので、「将来有望な自分に投資してください」と自分から奨学金をどんどんとりにいきます。ただ、アメリカ国籍がない場合、応募できるアメリカ国内の奨学金がすごく限られます。留学生である日本人の場合はRAを探すか、ごく限られた奨学金に応募するのが一般的です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090109/182410/
とりあえず、若者は??っていうくだりはもううんざり。売れないのは高いから!雇用が安定してないから!!金ないから!!!それだけ!!!!
若者若者ってうるせぇんだよ!そんなに車売りたいなら車が大好きな世代がどんどん買い換えればいいだろうが。阿呆か。
俺はむっちゃ氷河期世代。専門卒業してちっちゃなデザイン会社入ったけど、すぐに首切られてそっからはフリーター生活を長く続けた。その後なんとかデザイン業界に再チャレンジして今こうしてまたちっちゃな会社の正社員としてやってる。でも給料は手取り20??23万程度。
だからいまだに車はもってない。欲しいなという気持ちはあるんだけど、買ってからのことが心配になってしまう。
だって、維持費やら駐車場代かかるだろ。そんな金払える余裕なんてない。俺は実家暮らしではないし、毎月の生活費を色々と考えてしまうとどーにも手が出せない。
長くフリーター生活やってたせいで貯金なんてなかったし。でも最近貯め始めた。まぁそれは結婚資金で貯めてる金だけどね。
なんだろ、今別に車とかあんまり要らないかなって思うわ、基本値段が高すぎるしな。100万近くも出せないし、ローンとか考えるだけでもなんか憂鬱になる。ローンなんてパソコンやバイクぐらいでしか組んだことない。20万程度のを分割1年とかで。
やっぱり不安なんだよね、勿論俺の責任もあるだろね。これまで頑張らなかったせいでこんな生活で給料も低いんだろうけどさ。まぁ、それでもあがいてとりあえず現在のポジションは掴んだ。
掴んだけど、なんだろこの不安。長期雇用が崩壊して能力主義になったせいもあるのかな。頭のどっかに「俺もいつかは突然首を切られるかも」という考えがある。だからそんな車のローンとかで何年も組むとかありえない。怖すぎる。もっと手に職つけてやってけるって自信つけないとどーにも高い買い物はできん。車は本当に必要になったとき買うわ。
つーか俺、結構中都会に住んでて、そこまで交通に困ったことないしな。
・自力で職を探せない
・実家に戻れない
・親兄弟親戚に助けてもらえない
・助けてくれる友人がいない
・将来の事を考える教育を受けられなかった
いろんな考え方があるんだろうけど、個人的には上の5つに関してとても可哀想だと思う。今、自分は派遣の立場ではないけど、仮に会社をクビになったとしたら、まず自分でなんとか職場を見つける事は出来ると思う。さしあたってそれなりの蓄えがあるので半年や1年は焦らずに職は探せる。でもどうしようも無くなれば実家に戻って居候だな。
もし実家が無くなっちゃってしまってたら、事情を説明して明確な期日を設定すれば、2週間や3週間くらいまでなら友人の部屋に居候させてもらえるだろう。親戚も同様だ。自力で職が探せないとなれば、親兄弟親戚、友人に頭を下げれば、職を紹介してもらえずとも、的確なアドバイスはもらえるだろう。金が尽きたら当面の生活費くらいなら貸してもくれるだろう。
自分でなんとかできなくても、家族や友人に助けてもらえる可能性は高そうだ。他人だから当てにしてはいかんのだろうけどね。まあいずれにしても、今の職場からクビを切られたら何もかもがおかしくなってしまうというようなリスクを抱えていないつもりなので、会社をクビになるという事を起点にして不幸になる事は無い。親の教育の賜物だろうか。
派遣村にいる人達は、可哀想だ。個人的なセーフティネットを持っていない。家族や友人も助けてくれないし、十分な教育も受けていなかった。なぜそういう人達が叩かれなくてはならないのだろうか。ホームレス叩きも同様だ。一般の人達が持ち合わせているものを持っていないだけでなぜ叩かれるのだろうか。持ち合わせていると言っても、たまたま持っていたり、親が教えてくれたから知ってた程度の知識を得ているだけなのに・・・
親がまともで良かった。友人がたくさんいて良かった。たまたま仕事/職業に恵まれてよかった。
たまたま今の自分があるだけで、何かがどうかなっていたら派遣村にいるのは自分であったりする事もあったと思う。誰だってそうなのに、なぜ叩けるのか。誰も好きであそこには行けないだろう。いや、まだ派遣村にいけるだけいいかもしれない。病気なんかでいけない人もいるだろうに。
親兄弟親戚、友人にも恵まれていない人達が派遣村へ行く。なんて悲しい事だ。
仕事が見つかっても、結局は仕事が無くなればまた同じ事の繰り返しではないか。
誰も助けてくれないという事は、誰も助けて上げられないという事。可哀想だ。
誰にも頼られず軽んじられてしまう。
働く事は出来ても、派遣でつらい目にあった状況が一生続くのだ。
雪山で行き倒れになった人を、雪まみれの長靴で蹴りつける薄着の人よ、次に倒れるのはあなた達ですよ。
自分は36才、かみさんと4才の子供がいる、千葉県在住のSE。
数年前に、それまでの貯金を全て頭金にして、35年ローンで自宅購入。月の払いが10万、ボーナス返済なし。
あんまり残業しなくて済む職場が幸い(?)して、年収450万ちょいってとこ。
9時18時が定時なんで、365*5/7日*8hで2086時間、
残業する月を加えても、せいぜい月平均10時間程度ってとこなんで120時間足して2200時間。
年収を2200時間で割ったら、時給で2000円ちょい、ってとこか。
かみさんの収入もあるにはあるけど、こちらは10時17時定時、時給1000円弱で年収150万ぐらい。
子供の保育園代やら何やらで、ほぼ生活費に補填されている状況。
それにね、案外、「自分の夫/妻」が不倫してるのでは? と感じる人は多いらしいしね。
相手が独身でも、その人の親にバレたらもめるのは同じ。
風俗行くのより神経使う。
心と体は連携……云々はむしろ不倫的考えだな。だから、ズブズブになって取り返しがつかないケースになることもある。
たとえ、相手の女性が貴方の夫を愛し傷つけることはないかもしれないが、お互がお互いの愛に盲目になってしまう可能性は
泡姫様やお嬢が何を売っているか? アンハ、貴方はいいな。そういう考えが出来る。
そりゃあ、この仕事を始めたのが、借金や「沈められた」っつーのもあるだろう。
だけど、心を売っているか。それはどうかな?
あと、泡姫様もお嬢も「モノ」じゃねえ。「モノ」扱いする客はご免だね。つーか、二度と来るな阿呆ってなところ。
彼女たちと居る間は、彼女達は「恋人や妻ではないが、彼を癒す女」、れっきとした「女」なんだ。
彼女たちと談笑し、肌を合わせる。または、ちょいとHなサービスとお酒で、世知辛い世の中のナンダカンダを忘れて楽しむ。
が、店の外にでたら「あー、スッキリした」と、気持を切り替え家に戻る。これが遊び上手ということ。
生活費を女房がしっかり握って管理することができれば、不倫するよか、まだトラブルになることはないとおもう。
そりゃねえ、会社の金横領したりとか、あちこちのサラ金に手出したりしてまで風俗や不倫相手にハマったらどうしょうもないが。
それは遊び下手っつーか、まず、人としてアカンってことで。
以前は旦那に求めていたが、もう諦めている。アンハ、互いにいい歳になってるしね。
それに、夫婦の愛情よりも、10年という年月で培った絆がね。男女の愛情はもうない。
ここいらについては以前何度か書いた。
そもそも自分は「一穴主義者」が大嫌い。だからああいう感じの話になる。
自分自身がそもそも「一竿主義」じゃない。円光や手当たり次第というのは無い。が、貞節でもない。
自分なりの好みの基準はちょっと難しくて、なかなかそれに当てはまる人が居ないけど。
居たらそりゃまあ、以前は色々ありましたが(笑)
旦那には「色々あった」ということはみんな話してある。もしかしたら「またなんかしでかすかもよ」、とも。
その上で一緒に今も暮らしてる。有難いよ。マジ有難い。
奥さんの気持っていうけど、じゃあ、旦那の気持は?
旦那の気持っていうけれど、じゃあ、奥さんの気持は?
堂々めぐりだね。
だから、あのケースについては互いに話し合って妥協点を見つけるほかなかろうと思う。
自分がそうだったら?
例えば自分だけ病気で、自分の旦那が求めてきても応えてあげれなかったら、「泡姫様のところいっといでヨ」と言うよ。
自分はお嬢や泡姫様を卑下してないし、旦那も若い頃は行ってたのを知ってるしさ。
遊び上手な旦那、それこそ私の幸せ、誇っちゃうね。
何故か。ちゃんと家に返ってきてくれるという了解のようなものを互いに確認してるから。
そして、軽く営業メールに答えはするけれど、ズブズブはまることはないと思っているから。
(生活費は私がぎっちり握っているので、ズブズブはまる余裕は無いと思うw)
自分の一方的な思いこみかもしれないけどさ。が、旦那を信じている。
悩んでウジウジしている旦那を見るより、軽く遊んでサッパリスッキリした旦那を見てるほうがいい。
「旦那元気で留守がいい」
保険屋が作ってきた提案書の裏表紙に書いてあった。
『願いを短冊に』
私には四歳になる娘がいます。
その娘が最近、文字を教えてほしいとせがむので簡単なものを教えました。
それから何日かたったある日、
「いいこにしますから、おとうさんをかえしてください。」
と書いたそうです。
私は去年、交通事故で夫を亡くしています。
私はそれから、パートの仕事をはじめ、生活費の一部に充てています。
私の場合、夫が生命保険に入っていたので、なんとか生活できますが、
もし、夫が生命保険に入っていなかったらと考えると、ぞっとします。
夫は私にお金のありがたみを教えてくれました。
色とりどりの短冊を笹の葉に結んである竹は短冊の重みでしなっていました。
私は一番目立つところに、夕べ書いた短冊を結びつけました。
これって。
泣けるコピペでよく見るヤツの改変じゃないか。
って思ってちょっとググって見た。
この「エッセイ」は2003年のものらしい。エッセイコンテスト最優秀賞。
http://www.seiho.or.jp/activity/essay/h15/2003-1.html
で、よく見るコピペは、日付が確認できる古そうなところで2002年3月。
105 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 02/03/12 02:10
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ〓」
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
まぁ、ホントにコピペのほうが古いのかとか、「エッセイ」はコピペを改変したものなのかなんてのはわからんのだが、
祖母が二人の子を抱えて夫と死別したのがまだ30歳になる前のこと。
数枚残っている写真を見れば、ずいぶん美しい人だったことが分かる。洋風の顔立ちでどう見ても白人の血が混じっている。祖先には白人はいないはずだが、どこかで血が混じったのかもしれない。
子を抱えた祖母は生きるために、子を育てるために働きに出た。これという産業もない田舎町。幾つかの会社を経営する地元の金持ちの家に、通いで家政婦として勤めた。
やがてその家の主人の子を宿した。どうも強姦まがいのことがあったらしい。
それで生まれたのが僕の父。
私生児に人権などなかった時代だった。はらませるだけはらませておいて、責任をとるつもりもなかった主人は、何もしなかった。
祖母は亡き夫の兄夫婦に頼んで、その夫婦の戸籍に僕の父を彼らの実子としたうえで、養子縁組をして僕の父をひきとった。
父が5、6歳になる頃まではそれなりの生活費も与えられて、わりあい裕福な暮らしをしていたようだが、狭い町ゆえにやがて主人の妻にその存在がばれて、以後は極貧の生活を強いられた。
その中で祖母も亡くなり、父は異父兄姉に育てられた。
当時としてはとても珍しいことで、どういう事情があったかしらないが、僕の血縁上の祖父には妻との間に娘がひとりいたが、この娘は生涯独身を通した。
彼女はやがて両親を失い、天涯孤独になった後に、自分に異母弟がいることを知り、既に成人していた僕の父に何度も面会を試みたらしいが、父は頑として会わなかった。
父が病で死にかけている時、その「姉」と言う人が人づてに僕を通して、父に会いたいむねを言ってきた。どうするかと父に聞いたところ、父は首を振っただけだった。
父は温厚な人だった。温厚でなければ生きてゆくことが出来なかった。子には人を恨むなと言っていた。
しかし彼にしてどうしても許せないことがあったのだと思うと、むしろほっとする。
その主人の家はやがて没落し、その父の姉という人もずいぶん苦労したらしい。彼女に何の罪があるわけでもない。
それでも父は、父の父にまつわる人たちを完全に遠ざけた。
父の死後、今度は「甥」である僕に会いたいむねをその人は伝えてきたが、恨みはないにしても父の息子である僕が会えるはずもなかった。
その人も先日、孤独のうちに死んだという。
だからこれは終わってしまったお話だ。
父は苦学して地位を得て、それなりに裕福になった後に結婚をして子をもうけた。だから親子といえども、育った環境は僕と父では全然違う。生きてきた時代も違う。
それでも、仮に親子でなかったとしても、父の父が、僕の父が子供だった時にした仕打ちを聞けば、酷い話だと思うし、はらわたが煮えくり返る思いがする。
それと裏返しになるように、父の父の娘が孤独のうちに死んだと聞けば、小さなカタルシスを感じる。
その人が悪いわけでは決してない。彼女はかわいそうな女性だった。それでもそう感じる。
父はもちろん一般論として息子がそのような醜い感情を抱くことを欲しはしなかっただろう。しかしこれは一般論ではない。
このようなささやかな、歴史の中に埋没してゆく個人の悲しみや痛みさえ当事者やその家族は捨て去ることが出来ない。
許すという言葉は簡単だが、それをしてしまえば、怒りを糧にして生きてきた人たちは何を頼りに生きていけばいいのだろう。
それは生きる意味を否定してしまうことにはならないか。
僕が今、自分のことではないからと言って許してしまえば、それは父の人生を否定することにはならないか。
こうして自分のことに引き寄せて考えれば、世の多くの悲劇が、そうそう簡単に決着するはずもないのだと嘆息する。
社会は人間が自然に対するために作ったものだ。
何を言ってんだ、そのレベルの社会なんて、遅めに見積もっても150年前に達成されている。
(突発的な災害に対する脆弱さとかつまらないことで揚げ足取らないでね)
人間が戦わなくてはならない相手は人間ではない。まして社会ではない。自然だ。
そうなんだ?
じゃあ、例の「村」に集まってる人たちは、一体何と戦って敗れたんだろうね?
今、何と戦おうとしてるんだろうね?
とりあえず死なない程度の生活費は申請すれば国が出してくれることになっている。それは互助だ。
互助が不要だなんて言っていない。必要に決まってるじゃないか。
援助を受けるなら受けるなりの態度があるべきだろうと言っている。
そんなことはあなたも分かってるはずなのに、なんで的外れな議論をしているんだ。
誰にも言われなくても自然と頭は下がるよ。
あの「村」で被害者面して「対応が遅い」だの「これが我々の要求だから持って帰れ」だの言いたい放題やっている連中の頭が、あなたの言うような善性に基づいて自然に下がってるようにはとても見えないんだよ。
それだけの話。
私もよくわからない。法的な話だから・・
今は別の妻がいるので、仮に父が死んだら遺産はその人に行くらしい。
「そうはしたくないから、会いなさい」って言ってるんだけど。父は。
贈与とはまた別に、払うべき生活費も払ってもらわなきゃいけないんだけどね。
父とはもう2年ぐらい会ってないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090108200432
「稼ぐ手段だと思えば?」の増田っす。
よくわからないのだが、生活費を稼いでいるのなら、父親は「何のお金」の話をしているの? 遺産ってのは父親が死ねば自動的に妻子に行くよ? 他の人に譲るって遺言残されても、遺留分といって遺族にはもらう権利が残る。単に遺産が欲しいだけなら、お母さんががんばって籍を抜かれないようにしていればいいだけだと思うんだけど。
元増田はつまり。自分のためではなくて、お母さんの生活費を出してもらうために、嫌な父親と会ってるのかな?
確かに好きでもないのに結婚して子ども作ると家族全員不幸になるけど、元増田はいつまでも不幸でいる必要はないんだよ。嫌なモノには近寄らないようにすればいいじゃん? 最初の書き込みにも「自分で稼げるようになったら縁切れば?」と私は言ってるよ。
しかし表面的には親に従い、
生活費の手段だとしか親を思えず大人になったが、
性を売る仕事をしたりもして、自分を傷つけたりするようになった。
経済的自由も生きるのには大事だが、
精神的自由はそれ以上に大事だと思った。
イヤなものをイヤという権利、あるんだよ。
私はもう社会人で、働いています。
「会わなければお金は渡さない」と主張しています。
調停で話し合いした時も「生活費は会わなければ渡さない」と主張しました。
会ってなにしろってんだよ。
一方が望んでいても一方が望んでいなければ「会う」「付き合う」義務なんてないよね?
「お金のために会います」って言っても、会ったら満足なのかな?
両親はお互い好きでもないのに結婚した。そこそこ金持ちなので母親は金目当てだったみたい。
お互い世間体ってのもあっただろうね。
直接のきっかけは私ができたこと。産むかどうか直前まで躊躇していたらしい。
http://anond.hatelabo.jp/20090108194504
仕事ってのは、自分の時間を切り売りして、金に換えるってことだからさ。父親が生活費出してるんだったら、その分サービスしてやりなよ。毎日帰ってくるわけじゃないんだろ? 逆らうたびに「誰が養ってやってると思ってるんだ」って言う父親がうっとうしいのはわかるけど、世間一般常識的に父親ってのはそういうこと言わないもんなんだと知ったときは衝撃だったけどね。
今は特に金稼ぐの大変なんだよ。「お父さんのおかげよ。ありがとう」って言ってもらいたいだけだから。そのときだけ我慢して、そう言ってやりなよ。それで月うん万が手に入るんだよ。
就職したら、縁を切ればいいんじゃないかな。
うちの父親がそう。
うちは両親仲悪くてずっと別居してた。
母親とはずっと一緒に暮らしてたから肉親だけど、父親はどっかのおじさんとしか思えない。
なのに愛情を一方的に押しつけて、会って一緒に過ごすことを強要して、
会話や食事や旅行や風呂に入ることを強要して、こっちは一人で自由に過ごしたいのに。
休日、父と別れるとほっとした。
会話自体が目的だから意味のないことを問いかけてきて人の時間を奪う。
何度も同じことを言う。
マジむかつく。
連絡しろよって強要する。
こっちが向こうの要望に応えないと「こんなにお前のことを思っているのに」ってマジギレして泣き出す始末。
父は4回結婚している。
1回目、私の母と。
3回目、母と。
4回目、また別の女性と。
信用しろって方が無理だ。生活費払ってくれてなかったら見向きもしてない。今頃。
恩に着せて、望むとおりの愛情が手に入らないと逆上して相手を逆恨みする。
はっきり言って死んでもなんとも思わないだろうな。
「もー私、嫌いなの、お父さんのこと」ってはっきり言った方がいいかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090107022615
言いたいことはわかる。義務を果たしていない人が権利だけ主張しているように見えて頭に来ているのだろう。
軍うんぬんについては詳しい人が諭してらっしゃるから見送ろう。
あなたは社会というものの見方を根本的に間違っている。社会は人間が自然に対するために作ったものだ。今、社会が一気に崩壊して、飯を食うのに山に入って食えるものを探すことから始めなくてはならなくなったら、日本人の9割は確実に死ぬ。なぜなら、日本列島で得られる食料がそのくらいしかないからだ。まー、ここまで言ってしまっては極端な話なのだけれど。
人間が戦わなくてはならない相手は人間ではない。まして社会ではない。自然だ。しかも倒すために戦うのではない共存するためだ。厳しい自然を相手にして、なお人間が生き残っていくための戦いだ。
そして、日本は戦後の復興のために尽力した人々の手によって豊かな国になった。食べ物はあふれて捨てられるくらいだ。とりあえず死なない程度の生活費は申請すれば国が出してくれることになっている。それは互助だ。
たぶん、人生において危機を感じたことがないのだろうけれど、人はいろいろなことで今までの生活が出来なくなることがある。勤めていた会社が倒産する。大病をする。事故に遭う。今まで出来ていたことが出来なくなる。そのとき「死なないように助けてくれる」人が居ることがどんなにありがたいことか。誰にも言われなくても自然と頭は下がるよ。
そしてね。頭を下げられたほうは「お互いさまですから」と言うんだ。
もしかすると、あなたは一生頭を下げるほうには回らないのかも知れない。でもね。いつも「明日は我が身」と考えておいたほうがいいよ。あなたが人を助けるのにいちいち「頭下げろ」と言っていたら、あなたが困ったとき、いくら頭を下げても誰も助けてくれないよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090103032255
みなさんこんにちは。ブクマコメントで元増田と呼ばれている人、上のエントリを書いた人の妻です。沢山のコメント、ありがとうございます。(……ところで、元増田って何ですか?)
正確には、入籍も式も延ばし延ばしにしているため、まだ婚約者なんですけれども、彼と一緒に暮らして3年になります。
今、私だけ、年末、正月と実家に帰っているのですが、見つけてしまいました。夫の書き込み。ブックマークのトップページからたった2クリックで。どうしてこんなにわかりやすいところにあるのか。どうみても夫のものです。言葉遣いなんかですぐにわかりました。背筋が寒くなりました。
まだこの事については彼とは話していません。今はまだ心の整理が出来ていないので、話したくありません。
何でこんな事をここに書くのか自分にもわかりませんが、心の整理に繋がるかもしれないので、書きたいと思います。
まず、彼の書き込みには一部不正確な点があります。
何より、「家事はしています」確かに、4日に一度ほど、寝込んでしまって家事が出来ない日があります。しかし、それ以外の日は、彼を起こし(寝起きが非常に悪くなかなか起きないのです)、朝食を作り、夕食を作っています。掃除もしています。彼は、その「家事が出来ない日」があることが、本当に気に入らないようで、怒られてしまいます。「できなかったことを怒るより、できたことを見て欲しい」と言うと、「もう何年経ったと思ってるんだ。子供じゃないんだから甘えるな」と言われます。
それに、毎日完全に引きこもっている訳ではありません。天気のいい日には一時間ほど散歩しますし、週3回は必ず、あるスポーツジムに4時間行って、友達を作り、話すようにしています。彼の書き込みでは、私が完全にネットオンリーの生活をしているように読めますが、それは間違いです。「好きなように生活している」といわれてしまうと、何もいえませんが。
twitter、は、確かにしていますが、彼にtwitterのことを激しく怒られた日のpost数を数えてみると、16postでした。これってネット依存症と言える数字ですか?
確かに、彼に勧められた認知療法の本の読書は進んでいません。それは、本に意識を集中させる事が結構今は辛いからで。以前は本の虫で、本があれば何もいらない、というような人間だったのですが、鬱をわずらってからは全く本を読めなくなってしまいました(でも本は大好きなので買ってしまいます……手触りとか匂いとか)。
もうひとつ、私は彼に養ってもらっているわけではありません。未だに生活費は折半です。家賃+光熱費+食費をほぼ半々で出しています。関係ないか。
セックスに関しては、本当に申し訳ないと思うのですが、薬の副作用で完全に性欲がなくなってしまいました。これは、自分の事なのでよく分かります。全く反応しないのです。このことについては彼に言っていますが、やはり理解出来ないようで、悲しいです。
でも。私は確実によくなってきています。それは本当です。
スポーツジムで友達達と楽しく過ごす事ができたり、家事がちゃんとできたりすると、私は良くなっているんだなあとすごく嬉しくなります。
再就職には大きな不安が付きまとっていますが(彼は、「400万以上は稼ぐように」と私に条件をつけています)働く意欲のようなものも、出てきました。クリスマスイブには、チキンを囲んで二人で私の転職活動の事について話をし、「頑張る!」と彼に告げました。それを全く信じてくれていないのかと思うと、悲しいです。
彼は最近、私に、「行動で示せ」とだけ言います。
私には、無理なのかもしれません。
正直、自分の事で手一杯で、彼のことを気遣ってあげられていないのは事実、なのかもしれません。
彼をここまで追い詰めたのは、私なのです。
でも、最近は、死にたいと思うことも無くなり、明るく振舞えるようになったと思います。
これで上手くいかなかったら、もう、どうしていいのか分かりません。
年越し派遣村などといってなんだか派遣労働を切られた人たちが公園に集まって大変なことになっているようだが、地方にきてもらってはどうだろう。
私は島根県に住んでいるので、当地のことしか書けないが、現に島根県のタクシー会社では乗務員が足らず、現在募集をかけている(第一交通が山陰両県でタクシー乗務員250人募集(山陰中央新報))。
県内のIT企業でもこの不況の時こそ、人材確保のチャンスということで、人員の募集があったりすると聞く(たとえばここ株式会社テクノプロジェクト)。
もちろん島根県内でも製造業では人員整理も始まっているところもある。だが雇用を模索している企業も少なからずあるのだ。
給与は都会に比べれば少ないだろう。しかし地方では生活費もそれなりで済んでしまうこともある。よほど贅沢をしなければ、何とかなる土地柄でもある。
もっと田舎に行けば自治体が農業研修生みたいなのを募集しているところもある(邑南町の農業研修募集ページ(もう締め切りは過ぎました))。給与は十数万円と都会の人から見たら雀の涙かもしれないが、それでもたぶんこちらでは暮らせてしまうと思う。人間関係をうまくすれば食費なんかも本当にわずかで済むのではないだろうか。
人口減少に悩む地方にとっても、県外から人口が流入するのはありがたいことだ。
都会にこだわるのはそれなりの理由があるのだろうし、タクシー運転手やSEなんかになりたくないかもしれないが、テントで公園に寝泊まりするくらいなら、こうした地方での就職を考えてもいいのではないだろうか。すべてを失って残るは自分の命だけなら、こういう選択だって立派なことだと思うのだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090103032255
今はその選択にまったく後悔はない。
そもそも今となっては彼が鬱病だったのかわからない。
彼は3年間ほとんど働かなかった。
生活費はすべて私が稼いだ。
彼が実家に帰っている間、彼の実家にも毎月10万円のお金をいれていた。
妊娠が発覚したとき彼は動揺してものを投げ「俺だって喜びたいんだ!」と叫んで実家に帰ってしまった。
こどもは流産した。
友人が彼を責めたら「俺だってつらいんだ!」と言ったそうだ。
オーバードーズするので私が薬を管理していたのだけれど、薬の取り合いで羽交い締めにされたこともある。
彼がベランダから飛び降りようとするのを必死で止めたこともある。
彼が投げたもので窓ガラスが割れたこともある。
欲しいものがあればだだをこね、大人だというのに店の中で泣き出したりもした。
ほかにもたくさんの出来事があった。
私は仲のいい夫婦を取り繕うのに必死だった。
病院でありのままを告げると彼は先生に悪く思われる、どうしてそんなこというんだと私を怒った。
薬が増えるだけだった。
彼が本当に鬱病なのか私にはもうわからなくなっていた。
あの頃私も十分におかしかったのだと思う。
彼は薬のみならず、アルコールにも逃げ始めた。
そのあたりで私は離婚を考え始めた。
病院の先生にアル中になりかけていますよといわれても彼は酒をやめなかった。
姑に相談しても大して答えは得られなかった。
高いお金を払ってカウンセリングにも行ったけれど、結論からいうと私はカウンセリングによって離婚を選択したのだと思う。
確かにカウンセリングは私のストレスを解消し、共依存だという自覚を与え、考えを整理してくれた。
カウンセリングはよかったと思う。
離婚しようと告げたとき彼は俺が仕事ができなくなったのはおまえのせいで、俺をぼろぼろにして捨てるのかと言った。
姑も私に同じことを言った。
具体的に暴力を受けていたわけではないからDVだなんて思わなかった。
結婚していた頃は彼の行為がDVだなんて思わず病気だから仕方ないんだと思い込んでいた。
これはたぶん特殊な例だけれどつらくなったら別れていいと思う。