はてなキーワード: プラシーボとは
チャンピックスという薬を使った禁煙治療を2009年12月8日から初めて、早6週間、とりあえずざっとしたレポートを。
※2010/2/12 禁煙後の変化に幾つか追加。この記事書いた後から今日までも1本も吸ってない。
※2011/1/13 禁煙後の変化に幾つか追加。もう煙草の事を思い出すことも無くなってる。
今回私が受けた禁煙治療は、チャンピックスという 「煙草を美味しいと思わないようにさせる」 & 「煙草が吸えないイライラを解消」 する薬を12週間(3ヶ月)飲み続ける というもの。
詳しいことが知りたい人は 「すぐ禁煙」 でググって、「こんなに空気が美味しいなんて!(笑)」って煽られてください。
ゴロワーズは今思い出してもちょっとよだれが出てくるぐらい、旨いと思ってたし好きだった。
あと、
なので、減煙できるだけでも赤は出ないと考えた。
ここで慣らし運転終了、翌日からは薬が 1mg×2になって禁煙。
という事になっているが、私は禁煙するつもりがあったわけではなく薬の効果を体験してみたかっただけなので、禁煙自体は始めなかった。しかし既に半減している喫煙量。正直、「これ最終的に本当にやめちゃうかもなぁ」という予感がしていた。
この日以降、本格的に禁煙してしまった。しかし感覚的に言えば「禁煙」というより「煙草離れ」。だって煙草が欲しいと体が訴えないわけで、あとは習慣さえ潰してしまえば煙草の事が脳に浮かばないんだから。これ以降、12/26頃に一本だけ気まぐれに吸ってみて、まずくて、即消して、それ以降今日に至るまで一本も吸っていない。煙草は年末に捨てた。ZIPPOオイルはハクキンカイロで使用。
なお、今でもたまに「あー、吸いたいなぁ」って微かに思う時がある。9割が薬を飲み忘れてたとき。飲み忘れたら毎回思うわけではないけど。 ということで、1月以降、禁煙薬を飲み忘れる日がたまに出てきているが3ヶ月間ずっと通うつもり。また飲み忘れた分もそのあとに飲みきってしまい、少しでも禁煙確率を上げておこうと今は思っている。
あんまり劇的ではないので意識はないが、挙げてみればそこそこ数があった。
とりあえず思いつくものを列挙。
あと、煙草を必要としない生活パターンとなり以下のような変化があった。
何か思いついたら書き足します。
経緯
わたしの見方
「体に良いとうたうゲルマニウム使用のブレスレット(商品テスト結果)_国民生活センター」のブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.kokusen.go.jp/test/data/s_test/n-20090625_1.html
で、id:guldeenさんが「ニセ科学が止まらない理由の一つに「儲かってるんだからいいじゃん」というのがある。たしかに規制を厳しくしすぎると、正月の神社仏閣での「護符」の販売に支障をきたすので、サジ加減は難しい。だがこれは…。」と書かれていて、ブクマで自分も書こうとしたのですが、長くなりそうなのでこの場をお借りします。よしこです。
他にも護符に言及されている方がいましたが、おそらくこのブレスレットを批判されている方のほとんどは、護符については規制すべきではない、と思っておられるでしょう。わたしも直観的にはそう感じます。
しかし、そもそも「ゲルマニウムブレスレットはダメだけれど、護符なら良い」という線はどこから来るのでしょう。
「ゲルマニウムブレスレット(あるいはマイナスイオンでも何でもいい)は『科学的根拠』を謳っているから、その虚偽性が問題である」というのも一つの答えでしょう。
しかし、たとえばどこかのカルト宗教が「ありがたい壺」を売りつけているとしたら、おそらく彼らは「科学」は持ち出さず「祖先の呪い」とかそういうお話をしていることでしょう。これについても、ゲルマニウム批判者の多くは憤りを覚えると思います。わたしもそうです。
ゲルマニウム問題と壺問題は、別問題なのでしょうか。つまり「ニセ科学」と「カルト宗教」という、別々のお話で、絡めるべきではないのでしょうか。そうかもしれません。
それでも、これらの中で、護符だけが免罪符をもらっているのは、不思議な気がします(護符が免罪符って一体・・)。
護符を信じているがゆえの宗教的バイアス? いや、まったくそうではないでしょう。本気で信じている人も世の中には沢山いらっしゃいますが、ゲルマニウム批判者でかつ護符擁護者の多くは、護符の効果を本気で信じたりはまずしていないでしょう。
だとしたら、護符には十分な歴史があり、既に文化・伝統の一部となっているからでしょうか。これは比較的妥当な説明に見えますが、何かお茶を濁しているような印象がある。大体、「文化の一部」って何でしょう。第一にどこまで行ったら「文化の一部」なのかよくわからないし、第二に「文化」だとなぜ良いのか、第三にそもそも「文化」って何やねん、とイカガワシイポイントが沢山あります。
とりあえず、現状として、ゲルマニウム問題を批判できる程度には「合理的精神」を植え付けられた人々の多くは、「護符はインチキだ! 規制すべきだ!」と言われていたら「何を言ってるねんアホか」とツッコめる。これは非常に微妙な判断のはずで、もしかするとこの判断は正しく見えて単なるバイアスかもしれないのですが、そこは問われることがない。もし護符を売っているのがカルト宗教だったら、同じように養護はしないでしょう。いや、これも微妙ですね。もしカルト宗教が300円くらいで護符を売っていたら、そんなに怒らないかもしれない。少なくともわたしはそんなに怒らない。値段の問題なのでしょうか(笑)。
早急に結論を出そう、というつもりもないし、世の中というより自分自身の感じ方について好奇心を持っているのですが、ざっと見ただけでも、
①「科学」を称することの問題(科学とは何か、という科学哲学的問題は一旦保留します)
②営業手法の問題
③値段の付け方の問題
が混ざっているように見えます。他にもあるでしょう。
神社が500円で護符を売っても成り立つのは、十分な既得権益を受けているからです。それがズルとは即断できず、彼らが「楽な商売」をできるのは、多くの人が彼らに「楽な商売」をして欲しかったからでしょう。少なくともある時代、「神社仏閣に商店と同じ基準を課すのはちょっと変じゃないか」と思う人たちがそれなりの数いたから、そういう仕掛けができているわけです。
どこまで行ったら詐欺なのか、というのは微妙な問題で、どこまでもグレーゾーンが残ります。詐欺すれすれの営業でも営業技術のうち、とも言えるわけです。「ズルい」と思う人もいるでしょうが、ばかしあいで勝つのも世の中で生きる技術の一つです。
個人的には、グレーゾーンはあってよろしい、と思っています。ゲルマニウムすら、値段が安かったら別に怒りません。「それで治ると思っている人がいるならいいじゃない」とすら思います。プラシーボか何かで本当に治る人もいるかもしれない。というか、値段が高いと高いだけで何か効果ある気がしてくるし、そういうパワーも馬鹿にならないと思う。一慨に叩けばいいってものじゃない。
ゲルマニウムやマイナスイオンを批判する人がいなくなってしまうのは、もちろん問題です。ただ、別に喧嘩や議論をしたくはないのですが、ニセ科学批判をしている人の一部に、何だかカルト宗教と五十歩百歩の凝り固まった精神が感じられる時があるのは、わたしだけではないでしょう。
個人的には、ゲルマニウムに関する今回の報告のようなものは、多いに周知されるべきだと考えます。一方で、それを根拠に法的規制をかけるべきかというと、躊躇します。「すべての人に情報リテラシーがあるわけではない」と周知だけを批判する向きもあるでしょうが、そこまで面倒みるべきなのか、法の元に回収すべきなのか、微妙なラインだと思います。
世の中には怪しげな仕事で生計を立てている人がそれなりな数いて、というか「まっとう」に見える仕事だって、一枚皮の下は「なんだかなー」というのが沢山あるでしょう。自分の業務範囲は白くても、辿って行ったら黒いことも沢山あります。むしろそんなケースでは、自ら手を汚している方が潔いようにすら感じます。
一方で、怪しげなものを信じて生きている人もそれなりにいて、そもそもわたしたちの多くが信じているものも、怪しげといえば怪しげです。信じているから怪しいと思わないだけです。「だまされた!」と怒る人がいるのは、怪しいからというより、騙し方がマダマダだったというだけです。カルト宗教は、一生信じきれるくらい、壺パワーを増強しなければならない(笑)。
ポルノ業界は少し「怪しげ」だけれど、詐欺をしているとは誰も思わない。でももっと根本に帰れば、女の裸の何がいいんだ、と言われたらよくわからないでしょう。いやまぁ、わたしは買わない側にいるからそう思うだけかもしれませんけれど。「遺伝子に組み込まれているんだ!」というのはウソに決まっていて、まぁいろいろなパワーがないまぜになった結果、若い特定の形をした女の裸には特別な価値があることになっていて、おばあちゃんのヌードが売られていたら「なんちゅう商売や!」と思う人も、グラビアには文句を言わないのでしょう。これは怪しくないというのではなく、怪しさが極まって、もう誰も怪しいと思わなくなっただけかもしれません。
結局「やり過ぎるな」というオチになってしまいそうで、なんだかショボいお話ですいません。別に何か結論を言いたいわけではなく、「なぜ護符ならまぁいいかと思えるのか」という、自分の感じ方への素朴な疑問から書きはじめたことです。
ただ、ゲルマニウムにしてもマイナスイオンにしても、あんまり熱くなって批判するのはどうなのかな、とは思っています。笑える余裕を失って批判している人の話は、わたしなら聞きません。「なぜそう判断するのか」というのも、また面白い問題ですけれど。
通行人が見える二階席がいい
メンドクサイのが快感
http://yamanekotei.main.jp/annex/chawa2.html
http://teaweb.jp/yougo/ttt_yougo08.html
バシンバシンやってると無我の境地
なんか良くなるプラシーボ。でも多分寝てるだけ。
5:無限プチプチ、えだまめうにょーん
くだらないけど癒される
本読んでもいいけど
たまには裏も覗いてみて。ぎゃー!
8:犬、ぬこウオッチ
こそっと後つけてみるのも面白いよ。
どうだろう。
好きなもんがあるといいよね。
オイラは4で好きな声聞いて癒されてる。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1240968090
「偽科学pseudoscience」って言う言葉を使いたいだけなんろうけどね。断言してもいいが、偽科学は病に効きます。ここ重要。これは信念とか、願いとかではなくて、単なる統計的事実ですからね。
以下改変いくよー。
すでに一部の偽科学批判の偽科学系サイトに豚インフルエンザ「便乗」記事が出ているようなので、取り急ぎ、書いておきます。
万が一、本当に偽科学に対する偽科学的な批判に発展したら、ホメオパシーなんてものが効かないなどと期待してはいけません。それは「何もしない」のと同じであることを理解しておくべきです。
いつまで経っても偽科学に対する偽科学的批判が亡くなることはないでしょうが、現時点ではシカトするしかありません。「何もしない」という選択をするかキチンと統計学の初歩の初歩を学ぶは、自分で判断すればいいとは思いますが、万が一「ホメオパシーが効かない」と信じている人がいたら、それは誤りであることをはっきり言っておく必要があります。
また、このような機会に「便乗」して宣伝をする一部の偽科学に対する偽科学的批判サイトは最低だと思います。もちろん、善意であってもだめです。
ホメオパシー、と聞くだけで脊髄反射的にファびりはじめる人間が多すぎてワラケル。多くは禄に医学、というか初歩的な統計学も学んだことのない「理系(笑)」の人なんだよね。リンクのサイトがそう、って言ってるわけじゃないからね。
古くから諺で、「病は気から」というのがあるわけだけども、たとえば偽薬(プラシーボ)には、痛み止め、喘息、鬱、関節炎、麻酔薬、心不全、アレルギーなど、統計学的に有意な効果があることが知られています。
ホメオパシーが効かない、っていうのはそういう意味で、極めて偽科学的発言であるわけ。ホメオパシーに全く効果がない、と言い切ってしまうのは、もうトンデモもいいところ。
言っておくけど、ホメオパシーを擁護しているわけじゃないからね。トンデモに対する憎悪が強すぎて、自らがトンデモになってしまっている○ホが多すぎる、ってだけの話で。
そもそも、「科学的である」とか「偽科学」であるとかの違いがなんであるかをこのリンクの人は考えたことがあるのかな?この人は医学に関わっている人ではないわけでしょ。オレのイメージだと、やたらと偽科学を批判する人間って、ちょっとアレなのが多いんだけど。
EBM全盛の時代ではあるけれども、じゃあその土台に乗っていないものがすべて効かない、嘘、まやかしだといわれると全くそんなことはないわけでね(笑)。健康食品だって同じ。特にホメオパシーに関しては、精神的な効果も含めた上でキチンと考察されているものがあまりに少ない。
極端なことを言ってしまえば、インフルエンザでよく言われている「手洗い、うがい」のうがいについても、それが予防に有効であるというエビデンスは全くないんですけど。統計的な有意差があって、論文に載って学会で認められていることしか正しくないというならば、よく言われているような(っていうか今日の新聞に実際に書いてあったんだけど)「外ではあまりものに触らないほうがいい(キリッ)」なんてのもエビデンスは全くありませんから(失笑)。
血液型占いを真面目腐った顔で批判し始める、ちょっとコミュ力に欠けた「理系メガネ君」って、傍から見てると痛々しいからね。酒の席でのどうでもいい話に過ぎないし、血液型でこうあるべき、っていう「社会に対するアナウンス効果」(たとえば、B型はおおざっぱな人が多い、と繰り返し言われると、実際におおざっぱになるように行動してしまうこと)は学問的な土台の上で議論されてるからね。
くり返して言うけど、決してホメオパシーを擁護するわけじゃないからね。ただ、偽科学を批判するあまり、「ホメオパシーには全く効果がない(キリッ)」って言ってしまうと、その台詞はもう偽科学の範疇に入ってしまうんだよね、残念ながら。
エビデンスがないということのみを論拠にして、「エビデンスがない=偽科学だ!」と飛びついてしまうのは、それこそ偽科学の王道なんだけどね・・・。
あ、ちなみに、インフルエンザに手洗いが有効だっていうエビデンスは存在しますよ(笑)。増田のみなさんも、外から帰ってきたら、きちんと手洗ってくださいね。オレはうがいもしてますけど(憫笑)。
ある種の覚せい剤を使い始めた。合法のやつで、イギリスから輸入できる。精神の何かしらの影響を与える物質であるし、これを使うこと自体に異論があることは構わない。まぁでもコーヒーやオレンジジュース(!)でも依存性があるのだから、という気も、同時にする。誰にでも勧められるものでないことはわかっているし、自分でも背徳的な心持ちがないわけではないので、名前などを挙げるのはよしておく。ほんとにやりたかったら、自分でたどり着くでしょう。
しかしあれだ。僕にはその『リフト』ってのはなかったなぁ。でもプラシーボかもしれないが、少なくとも今週一週間は気分よく過ごせた。ならばまぁそれはそれでいいんじゃない?と思うことにしている。しかしやはり肝臓と腎臓への負担は少し気になる。いくつかの体験記にあったように、尿のにおいの変化がある、ってことは、薬が偽物でないことは間違いなさそうだし。長生きしたい訳ではないが、肝臓や腎臓の障碍は、面白くないよね。スポーツとかお酒とか数少ない楽しみを削ってしまいそうだし。目下のところ、医者と保険屋に怪しまれず、どうやって血液検査を受け続けるか、だな。
薬漬けでも、楽しかったらそれでいいじゃないか。もう幸せになることは、もうないのだから。
また経過などを気が向いたら書くよ。
http://akumania.fc2web.com/2006/denshirengi/photo-anime.html
あきらかにその話プラシーボでしょ。
考えるに、変化と言えばせいぜい若干塩素が抜けるくらいでしょ。
信じる人の気持ちが分からない…。
人が「理解」「解明」に求めることは究極的には「なぜ自分がこのような目にあうのか」というようなことで、科学にもそれを求めていると思うんだ。
昨今の上記のような期待感は重々承知しております。が、科学のルールや科学で説明できる範囲に従えば、「なぜ自分がこのような目にあうのか」は科学の守備範囲外であり、そこに宗教が入り込んでくる隙があると述べたかったのです。また、科学にそれを求めても求める先が違いますよ、ということも。
もうすこしつっこんでいえば、そこに宗教が入り込んできたとしてもそこで得られる満足感は信じることで得られるプラシーボ的なもの(だって科学的に説明がつかないのですから)で、その宗教を信じる個人や集団のなかでは真であっても、その宗教を信じない人(々)にとっては偽である。
科学では説明がつかない、科学の守備範囲外の部分を説明する方便として宗教はある人にとっては必要になってくるかもしれませんが、私に限って言えば、まだそれほど人生に絶望していませんし、29日には投票に行くつもりです。