「フルヘッヘンド」を含む日記 RSS

はてなキーワード: フルヘッヘンドとは

2021-01-21

anond:20210119145221

不要なわけではない。

卵白質が定着しなかった理由想像たか

実験などで卵白を使うことがある。その文脈で「卵白」が試料を指すのか物質を指すのか混乱を招きやすい。

蛋白」という固有名詞であればそのような混乱は起きない。

 

また、カタカナ語意味喪失が起きやすく、言葉定義を知らない者には一切通じない。

意識高い系の会話でやたらカタカナ語を連用するネタがあるが、あれは意味が通じにくいとか意味を解って使っているのか、という揶揄である

これは『蘭学事始』でもカタカナ語意味不明さが描かれている。

 眉から目と下って鼻のところへ来たときに、四人は、鼻とはフルヘッヘンドせしものなりという一句に、突き当ってしまっていた。

 むろん、完全な辞書はなかった。ただ、良沢が、長崎から持ち帰った小冊に、フルヘッヘンド訳注があった。それは、「木の枝を断ちたるあと、フルヘッヘンドをなし、庭を掃除すれば、その塵土聚りて、フルヘッヘンドなす」という文句だった。

 四人は、その訳注を、引き合しても、容易には解しかねた。

フルヘッヘンド! フルヘッヘンド!」

四人は、折々その言葉を口ずさみながら、巳の刻から申の刻まで考えぬいた。四人は目を見合せたまま、一語も交えずに考えぬいた。申の刻を過ぎた頃に、玄白が躍り上るようにして、その膝頭を叩いた。

「解せ申した。解せ申した。方々、かようでござる。木の枝を断ち申したるあと、癒え申せば堆くなるでござろう。塵土聚れば、これも堆くなるでござろう。されば、鼻は面中にありて、堆起するものでござれば、フルヘッヘンドは、堆しということでござろうぞ」といった。

 四人は、手を打って欣びあった。玄白の目には涙が光った。彼の欣びは、連城の玉を獲るよりも勝っていた。

このように、カタカナ語だけでは日本語として成立することは難しいと知られていたため、和訳というものを精力的に行ってきたのだ。

歴史と先人に学ばないのはただの愚者だ。

2020-04-30

官能小説かける人羨ましい

おれの

あんあんあん

プロ

あんあんあん

って全然違う。

小説比べると自分のはちんぽがフルへッヘンドしないの。プロのはばっきばきにフルヘッヘンドするんだわ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん