2024-10-11

好きな絵師Twitterを消した

理由簡単に言えば「望む感想を得られなかったから」だった。自身ブログでそう語っていた。

感想がもらえなかったからではない。望む感想が得られなかったからだ。

その人は美しい絵や可愛い絵を描く人だった。

この表現も嫌なのかもしれないが、多くの人の感性ではどうしてもそう見えると思う。

その人は「美しい」や「可愛い」と言われるのが嫌だったらしい。多分、きっと、書き方的にこれらの表現が安っぽいと思っていた。

更に詳細に言えば「美しいけど寂しい絵」や「可愛いけど残酷な絵」を描く人だった。

その人はそれらの寂しさや残酷さに触れて欲しかったらしい。

その人の表現していた寂しさや残酷さは少なくとも私には伝わっていた。きっと他の人にも伝わっていた。

けど、言わなかったのはこれらがネガティブに捉えられうる言葉からだ。例えそう思っていても作者にネガティブ言葉を伝えるのは緊張する、だから同じ褒め言葉の中でポジティブ単語を取り出して伝えていた。美しいと思ったのも寂しいと思ったのもどちらも嘘偽りない感想だったから。

でも、これが嫌だったみたいだ。

今まで一度もそんなこと言わなかった。

ここ十数年で掛けられた感想応援は何一つ心に残ってないとも言われてしまった。

本当に好きで、好きで、必死言葉を考えて伝えていた。けどそれは無意味だと言われてしまった。

そのブログはいくつかのコメントが寄せられた。どれも絵が好きだと褒めるものだった。私は何を書いたらいいのかわからなくて何も書き込まなかった。

後日、その人はコメントは控えてほしい。コメント欄を閉鎖したいが仕様上できない。とブログで書いた。海外からコメントを除き、全てのコメントが消えた。この時、コメント自主的に消してくれた方々は、あなたのことが好きな真のファンなのではないかとずっと思っている。

責めたいわけではないのだが、何故ブログというあなたのことが好きな人くらいしか見ないところでこれを書いたのだろう。多分あなたが悩んでいるのは通りすがりに美しい!可愛い!と伝えてくる人たちだろう。

何故、こういった感想をもらえると嬉しいと言ってくれなかったのだろう。そう言われれば、伝えても良いと判断してこちからも言えるようになったのに。

何故、何か悪いことをしたわけではないのに、好きな絵師からこんな暴言が返って来ないと行けないのだろう。

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