数学の証明というのは紀元前の哲学者のタレスにその思想を発しこれは当たり前だから理解しろという説得の手段として発達したものであるが戦後30年の時代にこの方面で成功した
当時の老人の男としては、刑法学者で最高裁判事の団藤重光、くらいしか知られておらず、昭和22年から昭和57年の間には学習指導要領の中に幾何や数論も入っていたが、
昭和58年の法律改正で、時代遅れだから、ということでこれらのものを体系的に学習することは削除された。裁判所の裁判官が技術によって立法された法律を裁判の中で各種の解釈技術
を編み出し判断枠組みを形成するのが流行したのは昭和30年代で、東京大学の理系学部で様々な技術を編み出すことが流行っていた時代の話である。いずれにしても流行っていて世間から
認められていたから生産性があったので現在のようにやることが許されていないような時代にそれをやっても誰からも認められる余地がないこと自明である。