コンビニのレジで「あ」と口に出しそうになって止める。まただ。買った覚えのない飲み物がレジ打ちされている。
買おうとしていた緑茶の横にあったのだろう、よく知らない健康によさそうで美味しくなさそうな飲料を、間違えて持ってきてしまったのだ。
もちろんそんなことを店員さんに言い出せるはずもなく、さも当然のように買ったものを受け取って、会計を済ませる。言い慣れた「アリガトウゴザイマス」は崩し過ぎのネイティブの発音よりよほど聞き取りやすい。緑茶よりも5割増しほどの値段だったその飲料は、不自然に苦かった。
この苦味と求めていた味の差が、つまりは私と世界のズレの距離なのだろう。物理的に冷蔵棚の隣に配置されていたのだろうから、ペットボトル一本分がそのズレと言えるのかもしれない。いずれにせよ、最近は世界とピントが合わないことが増えてきた。
物を間違えて手に取る、通り抜けられると思った隙間で身体を強かぶつける、単に平地で躓く。視覚のズレだけではない。電車で聴こえる他人の話し声はもはや何の言語かわからない。日本語だったとしても外国語のように響く。
体感としては、自分という電球と世界というソケットの接続が悪くなったような、そんな表現がしっくりくる。もともと噛み合っていなかったものが、どんどんその齟齬を大きくしていっているような。
どん、と後ろから通行人にぶつかられ、地面に膝と左手を強く打ち付ける。美味しくない飲料は全てこぼれ、アスファルトに小さな離島の絵を描く。私を倒した男はそのことに全く気づかなかったように前方に去っていく。自信に満ちた背中で。
あるいは私は、この世界から拒絶されて、消え去ろうとしているのかもしれない。それは、世界を拒絶し続けてきた私には相応しい末路のような気もするのだ。
文章うまいね 小説で食べていけそう
タワマン文学程度の文章だな
こういうダセえ文章誰に頼まれて書いてんの?
誰に頼まれて絡んでんの?