「性的営みの自由」と「文化的営みの自由」と「政治的営みの自由」を区別しましょうという話は以前から何度もしている(anond:20230611134150)のだが、「表現の不自由展」は「政治的営み」であった一方で、グラビアアイドルというのは「性的営み」を向上させる職業としての側面が強い点は注意した方がいい。(それ以前の前提として、「性的営み」にも段階があり、いわゆるセックスワーカーの仕事を対人セックスと比較するならば、グラビアアイドルの仕事は恋人同士でのキスや抱擁などと比較されるべきだろう、と断っておく。)
「表現の不自由展」のようなものは、観客を怒らせ、社会に波紋を起こすことにこそ価値がある。「批判もまた自由」とはそういうこと。それが批判されるとはつまり注目されていることにほかならず、それでこそのアートだ。
一方、「性的営み」にはそういった開かれた目的はない。むしろとことんプライベートな営みだ。タレントのためにも、観客のためにも、ゾーニングは積極的にした方が良い。(実際、自分が言うまでもなく、件の撮影会でもゾーニングはきちんと徹底されていたようだ。)だって恥ずかしいしね。
「性的営み」にとってゾーニングはシェルターでもある。ゾーニングの内側にいる限り、「性の商品化」などという侮辱も簡単に許してはいけない。この文脈で「批判もまた自由」と言うのは、「差別もまた表現の自由」と言っているようなもの。法の原則論などのマニアックな話をするとき以外、表立って議題にする必要はなく、単に「差別は許されない」だけの話だ。
https://togetter.com/li/2165161
しかし、自分は「表現の不自由展」を「政治的営み」として見守っていたけど、津田さんは「内輪でゲラゲラ笑える悪ふざけ」くらいにしか考えてなかったんだろうね。
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このところ、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」がやたら引き合いに出されてるんだけど、どうにも違和感がある。 会田誠のエロ作品が「表現の不自由展」から排除されたのをみ...
「表現の不自由展」の開催がどうしても許せなかったネトウヨ層にとっても、その構図の類似性というのは都合の悪い現実なんだろうな。
表現の自由戦士ではないけど、エロは昔から芸術の一角だし、安易に規制すべきではないと思うけど
全然論理的に説明できてないジャンww
志井のお気持ち次第の政党よりまともだろ
フェミパヨさんがそういう上から罵倒してくる時は切羽詰まってる時だからわかりやすくて好き