ジャニーというおっさんの性加害は裁かれるべきだが、死んでからしか声を上げられないほどの影響力だったため、さまざまなことが闇に葬られてしまった。
ジャニーはもちろん自分の欲望のために加害を繰り返していたんだろうが、目的は本当にそれだけだったのだろうか。
彼の加害への反応によって、その少年の何らかの才能を見出し、あるいは見出さず、そうして少年をアイドルになれるか仕分けていた可能性はないだろうか。
一般に男性アイドルのファンは女性であり、女性にウケるためには、性的対象となる魅力を持っていたり、あるいは母性本能をくすぐるような可愛げを持っていたりする必要があるだろう。
あるいは腐的な妄想を掻き立てる何かを持っていることもウケる要素になるのかもしれない。
そういった「色気」のようなものを、加害によって引き出そうとしていた可能性はないだろうか。
ジャニーズ事務所は男性アイドルを生み出すことにかけては他の追随を許さない、抜きん出た力を持っていたことは確かだ。
もちろん男性アイドル生産を寡占する事でメディアへの影響力を強められたから、という理由もあるだろうが、
ジャニーが少年のアイドル性のポテンシャルを見抜く力を持っていたのも間違いないと思われる。
彼の加害が、その見抜く目と不可分なものだとしたら、我々消費者は加害によって生み出されるものを享受していたことになる。
しかし我々はジャニーという犯罪者の「死に逃げ」を許してしまったため、上のような仮説を検証することはもうできない。
誤解ないように書くが、これは男性アイドルを消費した消費者を責める文章ではない。
男女に関わらず、アイドル、ひいては芸能に携わる人間はすべて消費される運命にあり、
それを批判するならばほとんどの芸能活動を否定する必要がある。
既にこうなってしまっている世界においては、消費者はただ消費するしかないのだ。