人権問題、例えば女性差別・LGBTQ差別などにおいて「黙っているのはそれを容認したも同然だ、声を上げなければならない」といった主張が時々見られる。
「沈黙は暗黙の同意、笑うのは共犯」:識者5人に聞く – ページ 5 – オルタナ
もちろん倫理的・論理的には正しいと思う。イジメなんかも大半は黙っている連中がいるから起きている、そういう理屈は全然通ると思うし間違っていると言いたいわけではない。
しかし、これを大きく掲げた人、特に識者たちは今後どうしていくのだろうか。
人権問題は残念ながら、今後無限に出てくる。つい最近もアフガニスタンではタリバンによる女性の抑圧が始まった。
こういった新たな問題を知るたびに声を上げなければ彼ら・彼女らの主張は自ら矛盾していくことになる訳だが、どうするのだろう。
特にTwitterアカウントなどがあれば、すべての発言が監視・検索されているにも等しい訳である。
「この件について言及してない、同意してるのか?」などとアンチ側からツッコミが入るのも容易に想像がつくし、正直そのツッコミは理屈が通っているとも思う。
紙媒体の時代であれば「突っ込む側が気付いてないだけで、どこかで言ってるかも」等のように、この論法も通用したのかもと思うが、発言が検索可能な時代には自分自身を縛り続ける発言となってしまうのではなかろうか。