虹色がLGBTQ+な方々の象徴とされているため、ノーマルな自分が虹色のアイテムを身につけていらぬ誤解を生まないかって、少し考えてしまうようになった原因の旗にたいしていらだちを感じる。
思惑通りなのかもしれないけど、他人の思想に無理やり巻き込まれてる感が好かないので、いらだっている。
否定的な人だと思われるかもしれないけど、LGBTQ+という考え方や性別に関しては賛同的です。
ただそれを表現する活動の旗に虹色を使っており、LGBTQ+に賛同する企業などが、虹色のアイテムを出しているけど、使うときに躊躇ってしまうのがいやだという感じです。
飛躍しまくって過激な例を出すならば、「小児性愛者はイチゴ柄のパンツが好き」だとする。その後「イチゴ柄は小児性愛者の柄」という解釈が広がり「イチゴは小児性愛者の象徴」となった世界で、イチゴが好物のノーマルのおじさんになった.... って感じだろうか。
当然、法や規制等を犯さない限り、小児性愛者は自由な生活を営んで良いし、同様にLGBTQ+の方々も、自由な性別で他の大多数の人と同じ権利を行使して生活をすることができるべきだと思う。
(小児性愛者は犯罪者もしくは予備軍だって意見もあるかもしれないが、時代や文化によってそれは変わる。LGBTQ+の性別も時代や文化によっては、違法だったと記憶している。見た目は天と地の差があるかもしれないが、建て付けは似ているとおもう)
イチゴが他人の目を気にして買ったり食べられなくなったら迷惑だよね? 自分はそれがイチゴではなく虹色で起こっていると感じている。
社会が変わるのは良いことだとおもう。しかし、その社会を変える活動に、その色が好きだったからというだけで巻き込まれる側の事を考えていないのは、実にアメリカ人らしいと感じる。