私が思っているよりも、人って他人が死ぬのを許容できないようだと思った。
私は、両親に虐待(今でなら完全に虐待だが当時は横行してた)やネグレクトを受け、祖父母に助けられた。
両親への憎悪>祖父への恩(祖母は今でこそ落ち着いているが、どっか精神に破綻をきたしてたからそこまで恩を感じてない)
なので、家族愛みたいなものは得られず、結婚はしたし子供も出来たが、何を犠牲にしても生きるべき、とは思えない。
一時期、めちゃくちゃ親族間で揉めた時に、私が色々とりまとめたのだが、叔父に「増田はさすがプログラマーだけあって、物事の整理が上手い」と言われた。
(おそらく言外には、そこまで論理的に効率的に人は考えられないみたいなニュアンスも含められていたのだと今なら思う)
で、タイトル回収なんだけど、
それこそフローチャート書いたら、
生きてて楽しい?→No
みたいに、事前に決めておけば、自然と死に至る選択肢って沢山あると思うんだ。
ふむ、フローチャートですか。プログラムの腕前は?
精子についてだったら考えてると思う 生死のほうはどうでもいいと思ってそう 自分は現代社会まできた人間の生存戦略が一応多くを生かす方向に舵を切った(人権がその最たるもの)から...