エヴァじゃなく、押井守の映画にスイッチするのはどうかい? 彼は今でもつらい現実の人生に生きる人々の映画を作ってるで。
バトーはずっと、ネットの海に消えた思い人を心に一人で生きている。
「こういう例を出して適切かどうか分からないけど、『耳をすませば』に出てくるような健康的な一家を見て、果たしてアニメーションを必要としている今の若い子たちが勇気づけられることがあるんだろうか。僕は、ないと思う。『耳をすませば』を見て生きる希望がわいてきたり勇気づけられる子は、もともとアニメーションなんか必要としないんだと。 アニメでも映画でも小説でも何でもいいけど、フィクションを人並み以上に求めている子たちには、ああいう形で理想や情熱を語られても、むしろプレッシャーにしか感じられないはずだ。僕はそういうものは作らない。 今回もそうだけど、僕が作っているものにあるのは、生きるということはどう考えたってつらいんだ。 多分、あなた方を取り巻く現実もこれからの人生も、きっとつらいものに違いない。いろんなものを失っていく過程なんだということ。 生きていれば何かを獲得すると若い人は漠然と思っているんだろうけど、実際は失っていく過程なんだよって。 」
「じゃあ、人生は地獄のようなものなのかと言いたいのかというとそうじゃなくて、そのなかで、自分が生きることの意味とは何かということに、マジメに答えようと思っているわけ。しかも、さっき言った通り、僕自身が信じているもの以外のことは出さないで。今回は僕なりにがんばったつもりなんだよね。観て、すぐ元気になるかどうかは別にして、生きていく上で何かの役には立つだろうと。それくらいの自負はある。バトーは、生きるか死ぬかのシビアな世界で、苦渋に満ちた人生を送っている。みんなが生きているのは、そこまでシビアな世界ではないとしても、生きる上でのつらさは、バトーと一緒なんだよって。
ビューティフルドリーマー…