最近はネットの普及前にもう少しマシな設計ができなかったのかと思うことがある。
書いているこれについても、別に発信でできなければ、それはそれでよかった。
毎日、ニュースを見て誰かがコメントを出して荒れたりしている。
思想が違う人がいることもわかっていたはずだが、延々と議論している。
議論が進んでいればいいが、残らないので毎回同じスタート地点から開始している。
結論を出すために議論しているのではないという意見もあるだろう。だったら発信する必要はあっただろうか。
新聞なりテレビなりの従来のメディアが取材をし、普段それにフリーライドしている状態になっている。
丸々同じ内容を話したYouTubeで稼いでいる人もいる。
政府批判の意見も封じるのかという話もあるだろうが、ネット空間に書き込むよりも、
政府機関の窓口があるのだから、そちらに連絡を取った方がいい。
顔を出して発信するのが一般的になり、気に入らない人はブロックするようになった。
その行きつく先は、顔見知りの人だけで集団を作り、気に入らない人物は排除する。
都市は、街中を歩いていても匿名で過ごせ、過度な干渉を互いにしないで過ごせるのが魅力じゃなかったのだろうか。
個別に見ていけば、ネットの広告費やアフィリエイトで稼げるようになったのも事実だろう。
初期の個人サイトが乱立してるくらいの時期はまだ仮の身分でコミュニケーションを取る都会っぽい感じはあったんだけどね。 SNS出てから急激にムラ社会化したし、とにかく数が多い方...
潤沢な食糧・電気・衛生的な上下水道・医療 これが完成した時点で人類の幸福はカンストしたんだよ 下々を従わせるためには何か意図的に削って苦しめる必要が出てくる
もっと語句を規制すべきだよなぁ 腐ったミカン理論の社会実験になってしまっている現状を見ると