俺は作品を読むとき、はっきり言って作品の向こうにいる人のことなんか考えることはない。
そんな思考の人はわざわざ口にしないだけで、実際のところは大なり小なり思ったことはあるだろう。幸福不幸問わず、自分が満足できるクオリティの作品を提供してくれればそれだけでいい。それ以外はなくてもいいし、情報によっては不要である。その意見を特定の個人に伝えたところで、こっちのメリットは皆無なので黙っているだけだ。
それでもSNSでしか投稿しないような人のアカウントはうんざりするほどノイズが多く、正直日常の投稿は別アカウントでやれといいたくなる。メディア欄をガチャのスクショで流すやつは、全部非表示にしたいぐらいだ。
だが大抵の悪印象も作品が受け入れられれば許される。それは成果物として評価されるのは作品が全てだからだ。常に脳内から余計な情報を消す手間と作品の価値を比較して、価値が大きいと判断したものを読んでいる。
つまり何するにも勝手だが余計なことを作品と紐付けて行動しないでほしい。外的要因で駄目になるのは、売り上げの悪さだけにしてほしい。売り上げは明確な数字であり、消費者が唯一介入できる数字であるからだ。