誰かに自分の人生を左右されるのに恐ろしさを感じるのは、不自由さが怖いのか。それとも別の何かが怖いのか。
自分の責任ではないことを自分の責任にされるのが怖いのか。依存した後にはしごを外す自由が相手にあることが怖いのか。とりあえずの解決法は逃げてしまうことだけれど。
最初に相手を怖いと思って、時間をかけて心を開いていくのと、最初に相手を好ましいと思って、時間をかけずに親しんでいくのと、結果的にはどちらも変わらないのだろうか。結局は自分の問題になってくるのだろうか。第一印象や勘といったものは、当てにならないのか。結局は結果論でしかないのか。やはり自分で決めるしかないのか。そうなのか・・・。
大人になると、仲良くなるのにも段取りが要る。仲良くなるのにもいろんなものを背負っているから。
たぶん、おそらく、こういうこと。
仲良くなるきっかけがあるのを縁と言って、仲良くなって関係性に名前を付けていくたびに何かは変わって何かは変わらない上に、見える見えない両方の前例はこの先も続く可能性が高いけれど、それはお互い様だし、相手を試し過ぎると報いを受けると思って反省して気をつけた方がいい。
やっぱり何もかもを決めかねている。誰かなしに自分を決められないのは、誰かを自分にとって必要としているからなのだから、誰かを大事にした方がいいということだと思ったので、誰かを大事にしたい。
誰かは誰でもあるけれどすべての人になることはないから、とりあえず線引きとして「逮捕されるようなことをしないこと」として、理想を言えば「浮気はNO」「ある程度はいろいろな事情で仕方ないとしても自分の心が自由にするのを見ない振りできるようになれるか」ということにしよう。
30になってさらに数年経ったのに、自分の生き方も自分で決められない、自分はどうしようもないやつだ、と思っている。 これはいつなんどきどう見ても真実なのか? とも思って...
では今度は、他人を入れて、自分以外の誰かとの関わりについて 誰かに自分の人生を左右されるのに恐ろしさを感じるのは、不自由さが怖いのか。それとも別の何かが怖いのか。 ...