某俳優の自殺が誹謗中傷によるものだという何の根拠もない噂がTwitterを駆け巡っている。
他にも順風満帆そうだったのに…とか、何かあったのだろうかとかそういった声も散見される。
それと「死は救済だから」論の方もちらほら見られる。
この意見どれも「自殺には何か悪い事がトリガーとなっている」というバイアスがかかっている事にお気づきだろうか。つまり、言いたいのは何もなくても命を落としてもいいんじゃないかという事だ。
「周りが死んだらお前は泣かないのか」
「じゃあお前が命を落とせばいい」
なんて言われそうな未来しか見えないから、先に言っておきます。自分自身今すぐに死にたいのかと言われるとむしろ生を謳歌したいですね。やりたい事たくさんありますし。
ただ、言いたいのは死が必ずしも悪ではないし生死感を他人に強要するなって話だ。
例えば私が生きたい思ってるけど、友人が死にたいと思ってるとする。
それに対して「死ぬな」というのは友人が選んだ「死」という意思を丸っきり無視しているのと同じだ。それはエゴだ。
もちろん死ぬという選択は生きている間のいろんな機会を失うことになる。友人がそのデメリットを飲んでまで死にたいのであれば私に止める術はないだろう。
そもそも生きている間に巡り合う機会と、死んでから巡り合う機会、どちらが良いかなんて死んでみないとわからない。昔から人間は死後の世界を空想し図式化してきたが、それは空想の域を超えることはできない。死人に口無しのこの状態が科学の力等で解決できない限りは知る術が、当人が死ぬ以外ないのだ。
ここまで書いてきて安楽死への考えと似通ったものがあるのではないかなと思う。安楽死は自らが死を選択する行為だから、その点において自殺と変わらない。じゃあ安楽死=自殺でいいじゃないか。なぜ安楽死は良いイメージがあり、自殺は悪いイメージがあるのか私にはわからない。
もちろんいじめ等で心が傷つき、立ち直れなくなり、死を選択する人もいるのはわかっている。だからこそ自殺=悪であり、きっと何かしらのトリガーがあったに違いないと思うこともあるだろう。ただそれを決めて良いのは死を選択した当人だけであって、周りの人達がとやかくいう必要はない。
友人が死を考えてたら意見を尊重せずに止めるし原因を探ってはしまうと思うけど ただ死んでしまった人を「何があっても自殺を駄目」とか言っちゃう奴はおかしいとは思うわ