100億円持っていても今の仕事を続けると即答できる者は、お金から自由であり自分自身のために働いている。
大多数のそうでない者はお金のために働いている。つまり貧乏人でありお金の奴隷。
お金は単なる交換の手段(他にも諸機能あるが)であり世の中で最もくだらないものの一つで、一方自分の時間は有限で最も大切なものの一つであるはずだ。
最もくだらないもののために最も大切なものを犠牲にするのを避けるためには、逆説的だが人生の一時期においてお金を最重要視してお金について学び、お金に自分のために働かせるためのスキルを身につける必要がある。
そうしない者は、最も大切なものをドブに捨て続けることになる。
であればもっとお金に関する知識に貪欲になる必要があるはずだが、たとえばはてブ一つとっても人気エントリーとして挙がってくるコンテンツに、お金に関するものは非常に少ない。
つまり大半の者はお金のために自分の時間をドブに捨てつつ、そこから抜け出そうともしない虫ケラだという事になる。
MASTERキートンに「自分を虫ケラだと思ってそこから這い上がろうとする奴は虫ケラとは言わない。それは人間だ。」というセリフがあるが、大半の者は自分が虫ケラであることにさえ気づいていない。
この原因の一つは、教育にあると思う。
投資教育、お金に関するリテラシー、人生を何に費やすべきかについての哲学、そういった教育が圧倒的に不足している。
それどころか「社会」にとって都合のよい、何の疑問も持たずただまじめに働く者を量産するのが現在の教育の主目的の一つであるようにさえ見える。
私は既に労働者という立場から脱して資本家、投資家として自由を得た立場であり、本来であればそのような盲目な労働者が増えるほど都合が良いが、自分も以前はその労働者の一員だった以上、その状況を座視するのは非常に忍びない。
なぜなら、経済的自由は教育さえ受ければ誰でも達成できることだから。皆できるのに皆やらず、あろうことか逆に最も大切なものをドブに捨て続けるのを見るのは辛い。
お金から自由になり、自分の人生を自由な時間で満たして本当に大切な事にフォーカスして生きる、という概念がもっと世の中に広まってくれることを祈る。
はいはい、情報商材屋乙。
元増田だが、この様な反応自体が投資教育の失敗または欠如を証明している。 経済的自立、そのための学習の必要性、という話に対して反射的に「怪しい」「情報商材」といった反応。 ...
そのあたり触った上で、ああこんな物他人をおだててはめ込む阿呆がひっかかるもんだなと思ったんだよ。俺はテックベンチャー側をして引っかかったアホだがな。 まあチャンスだけは...