2020-06-05

ジョギング公害

観光公害という言葉があるなら、ジョギング公害もありだ。

ジョギングする人が多い、開けた場所の近くに住んでいるのだが、緊急事態宣言が解除になってからマスクをせずにジョギングをしている人が明らかに増えた。走っている人の半分以上、10人に7−8人くらいがマスクをしていない。暑くなってきて、走ると呼吸が苦しいせいもあるのだろう。

一方で、同じ場所を歩く人のほとんどがマスクをしている。

マスクをするのは自分コロナウイルス感染しないようにするためだけではなく、自分感染していた場合他人うつさないようにするためだということを、ジョギングする人は完全に忘れているようだ。そして、マスクをしないランナーが、私の観測範囲に限ればいまや多数派になっている。

マスクをせずにジョギングする人は、自分の都合で多数の他人危険さらしていることをどのように考えているのだろうか。

皇居周辺に行ったことのある人はわかるはずだが、皇居堀沿いの道路ジョギングをする人に占領されており、歩くことは非常に難しい。一方向に向かって走っている人が多いため、ゆっくり歩くと追突される身の危険を感じる。ジョギングする人が走っている方向と逆に歩道を歩いてもよいはずなのに、そうするとランナー邪魔者扱いされ、また衝突の危険があるため、ほとんど歩くことができない。

京都鎌倉に押し寄せる観光客の評判がよくないのは、数の暴力に対して観光客無自覚からだ。同じようなことをやっている人々が増えるにつれて、周りの人がやっているか自分もやってよいのだと思いはじめる。そして際限なく自分自身に甘くなり、観光客以外の人に対して圧迫感を与え、顰蹙を買っているのに、気づかない。あるいは、明確に禁止されていないことをやってどこが悪いのかと開き直る。

皇居周辺だけではなく、人気があるランニングコースでは、有名観光地と同じようなことが起こっている。

呑気に歩いている人より走っている自分たちの方が多いのだから、のろのろと歩いて邪魔になる人間の方が悪い。走っている人は誰もマスクをしていないのだから自分がしなければならない理由はない。どさくさ紛れの、数の力に勢いを借りた開き直りがまかり通っている。

このような理由で、ジョギングする人が自分自身の暴力性に対して自覚的になるように、ジョギング公害という言葉は浸透してよいと思っている。

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