コロナの影響で人の減った通勤電車に乗り込むと、一人のお婆さんが目に留まった。
彼女は、世界中の不幸を煮しめたような顔をして、車窓から外を眺めていた。
私は思った。日本という国に生まれ、老婆になるまで生き、病室のベッドではなく、公共交通機関に一人で乗れている。
客観的に見て恵まれた人生だろう。私が彼女と同じ年齢まで生きてられるとは思えないし、また、生きていたとしても、寝たきり老人になっている可能性が高いと思う。
思慮に耽っていると、電車のドアが閉まり、発車のアナウンスが流れた。
ぽつぽつと見かける草がぼうぼうに生い茂る自然に帰化した田んぼをみると、未来に対する不安と一抹の寂しさを覚えた。
老婆の方に目をやると、先ほどよりも険の取れた面持ちで、窓の外を眺めていた。
どこか哀愁のある表情は忘れ去られた田んぼに自分を重ねているのかもしれないと思った。
私は風景に飽きると、スマートフォンを取り出し、ネットニュースなどをチェックすることにした。
老婆の方に再び目をやると、表情は見えなかったが、しっかりとした足取りで、座席から立ち上がるところだった。
降車する背中を見送りながら、私は彼女の表情や仕草で勝手に不幸な人だと決めつけてしまったことに気が付いた。
そこには彼女に対する事実確認はなく、また、私は彼女のことを全て想像で決めつけていたのだ。
私は自分のしたことの恐ろしさやおぞましさが何とも気持ちが悪く、自分がそんな人間であるということがとても恥ずかしい。
うんこ
無自覚な差別・無自覚な偏った見方って、気付いた時にめちゃくちゃ恥ずかしいよね。分かる。 単純作業(定型作業)従事者を下に見ていた自分に気付いた時に同じ気持ちになった。
おそらくお前はいまだ下に見ているとおもうよ