僕の幼稚さが嫌いだ
僕の頭の悪さが本当に嫌いだ
飲み会など大人数で集まることは好きだ。誰かとサシで話さなくて良いから
皆が楽しそうにしていると僕も楽しくなるので、その場で面白いことを言った本当に面白い人の発言をリサイクルして笑いを誘ったり、変な酒やツマミを頼むことでありふれた話題のきっかけを作ったりする
でも自分というものが無くて、他人というものにも興味が無いから、僕から口を開くことは100%無い
そうこうしているうちに、僕の内側を見て、僕という人間を全て知った人は、僕に価値がないということが分かるので、わざわざ僕を誘うことがなくなる
僕も他人と話をすることが嫌いなので助かるが、他人の話を聞いて美味しいものを食べたり飲んだりするのは好きなので少し悲しくなる
どうして自分が無いのにいっちょ前に悲しくなるんだろうか。感情はいつでも自分勝手で、他人に見せるべきではない醜悪なものをいつでも生成してくれる
自分語りが嫌いだ(好きだ)
僕には何も無いので生きづらさを感じるとき、自分のことをこうして文字にいつでも起こすのだが、一向によい方向へ向かう気配がない
よい方向へ向かうための方法は知っているのに実行する勇気がないからだ。面倒くさいからかもしれないし、嫌いだからなのかもしれないが
何年間も同じ場所で立ち止まっている自分が嫌いで(好きで)、この状態がいつまでも永遠に続けば良いなと思っている(時間は進むので僕だけが取り残される。これが幼稚なメカニズム)
僕の頭がもう少し良くて、もう少し大人であれば、自分のことをうじうじといつまでも何年間も考えなくてよいのだろうか
やりがいのある仕事を見つけて、他人に興味を持てる人間になれば、死なないことだけが生きる目標である今の状態から抜け出せるだろうか
病院に行かなくてな張らないだろうか。僕がADHDなのか、ただの怠ける豚なのか、そろそろハッキリさせるべき時が来ているかもしれない
そうしてまた生を引き延ばしている
僕には何もないのに頭の良い人間に共感して、上辺だけは普通の人間として生きている
生きていけるから生きている
いつ終わってくれるんだろうか
ただ待っているしかできないことが、本当に幼稚だと思う