自分は前者のブログに肯定的なので、貴方の言い分を「多様性はコストである」という認識を是としたまま採用するのがいいと思う。
しかし、筋トレだストレッチだといったって、それはやはりコストであり負荷には違いない。
普段から過酷な労働で疲れ切っている友達に、いくら筋トレを勧めたところで無駄だ。
疲れているからだ。
これが貧しくて飢えている人間や、家庭の暴力で精神を病んだ人間であればなおさら無理だろう。
貴方が内心考えているであろう「幸福になるために筋トレをすべきである」とは順序が真逆であることに注意するべきだ。幸福が先。文化的筋トレは後だ。
社会全体を良くしたいと思うとき、現代人(世代によって違うか?)は、すぐに倫理やリベラル思想に走りがちなのだが、実体経済と貧困対策が完璧になるまでそれらは全て無駄に終わると思う。
前者のブログが結論部で示唆しているのもそういうことだ。"コストだから悪であるからカットしよう"とかいう雑な結論ではなくて。
2つの対照的なブログを読んだ 「結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。」 https://blog.tinect.jp/?p=63446 「なぜ学校はワープロを受...
自分は前者のブログに肯定的なので、貴方の言い分を「多様性はコストである」という認識を是としたまま採用するのがいいと思う。 つまりだ、筋トレだストレッチだといったって、...
「朝飯食ってるガキは成績がいい」って聞きつけて、朝飯だけ食わせようとしてるような空しさがあるんだよな いや全く意味がないわけじゃないけど根本的な原因はそこじゃねえぞ的な
社会の多様性ってのは公共のルールにまつわる問題。個人の選好(の幅)とは別次元。シロクマさんの文章はいつ見かけても地頭がへちょいなーと思う
でもキモくて金のないおっさんを個人の選好に基づいて公共の場にいるだけで不審者呼ばわりし警察に通報するような人を批判したりはしないんですよねわかります