「ゲームで感動なんて薄っぺらい」とか言うヤツは昔からいて、同じ金払ってるのに目いっぱい楽しんだ方がいいに決まってるだろバーカバーカとか、感動に薄いも厚いもあるか他人の感動にケチつけるお前の人間性と感受性がクソなだけだバーカバーカとか思ってた。
ただ、それでも、最近は流石に「ゲームで感動」ということが段々段々なくなってきて、昔あった、あのどーーーんと心に来る感覚はどこにいったのかなあ、これって俺の感受性も老いてきたってことなのかなあ、って悲しくなっていた。
けど最近、あるゲームで、「ああそうだ、これが感動ってことだった」って思い出した。どーーーーーーーんと心に来る感覚を思い出した。
それ何のゲームかというと、自分でもまさかと思ったんだけど、FF14だ。最新パッケージの漆黒のヴィランズってやつ。これ、前回の大型パッケージから暫く休止してたんだけど、最近出たのが面白いっていうから再開してみたんだ。で、そのシナリオにずどーーーーんと感動した。
知らない人の為に説明すると、漆黒のヴィランズには、主人公と、皆の為に頑張ったのに自分が頑張ったせいで世界が滅びかけちゃって自分自身は死んじゃって幽霊みたいになったヤツと、滅びを避ける為に頑張ったのに世界はほぼ滅んじゃって、今はその世界を元に戻すために頑張ってるヤツの3人がいる。こいつが世界を元に戻すと、当然今の世界はひどいことになる。他にも色々いるが、ここで重要なのはこの3人だ。
専門用語で、主人公のことをヒカセン、幽霊みたいなヤツをアルバート、世界元に戻すために頑張ってるヤツをエメトセルクという。
で、まず、エメトセルクは敵役だ。敵役だけど、途中までのこいつは、飄々とした態度でつかず離れず、ストーリー上滅茶苦茶重要なことをさらっと説明しながら、どこかでヒカセンに、自分たちの目的、自分たちが生きてきた世界のことを共有しようとする。決して相いれないことは分かっていて、けれどそれでも、もしかすると伝える価値があるかも知れないと。
一方アルバートは、自分たちがやってきたことが全て無駄だった、それどころか世界を滅ぼす引き金になったということを、ずっと引きずり続けている。けれど、ヒカセンの後について、ヒカセンが希望を取り戻していくうちに、自分たちがやってきたことはもしかすると間違いではなかったのかも知れない、と思い始める。
そして、この三人の物語が、最後の最後に交錯するんだ。世界を救ってきたヒカセン、世界を救えなかったアルバート、世界を救うことが世界を滅ぼすことにもなるエメトセルク。
これが本当に、久しぶりに心にずーーーんと来てさあ。勿論もう一人、水晶公もいいキャラなんだけど、やっぱ漆黒のヴィランズってこの三人の為の物語だったと思うんだよ。最後の最後で、それが本当に、心の底から納得出来たんだ。
いいゲームだった。で、まだ自分に、いいゲームで素直に感動出来る部分が残っていて、オレはなんていうか、本当に嬉しかったんだ。