2019-09-22

常にうっすら死にたいという気持ち理解されない

常にうっすら死にたいという気持ち理解されない。

そもそも、多くの人は死にたいと思わないっぽい。

朝起きたときとか、三連休に予定がないときとか

飯食ってるときも、うまいときはそんなに思わないけど、ただの栄養補給延命作業のように感じることがある。

もちろん、言う相手は選ぶ。言う相手を間違えると、異端忌避の目を向けられかねない。

選んだ結果、理解されないからここに投下する。

いつからそんな風に思うようになってたかと振り返ると、中学高校のころには感じていた。

集団からの疎外感があったりとか、イキイキキラキラしてる同級生見たりすると促進させられてた。

集団迎合していたとしても、イキイキキラキラと一緒にされてても死にたくなってたろうけど。

うっすら死にたいとは思うけど痛いのは嫌だし、死んで自分死体が散らかるのも嫌だ。

筋弛緩で死ぬのとか一番汚くないのかなと思う。

飛び降りだとか、首つりは本当によくない。片づける人が大変そうだし。

主体性のある「死にたい」ではない。

主体的死にたいとおもって行動できるやつはそれだけで、うっすら死にたい人たちからすると行動力があって自分の思いに対してはむしろポジティブだ。

行動に移せるやつはポジティブ

たまに、中学高校の段階で見切りつけて主体的にやれるやつは、おれからしたらエリート

他者の生んだコンテンツ消費してゆっくり死んでいくだけとあおるインフルエンサーいるけど、なにしても・しなくても死んでいくだけどろうよ、と思ったりもする。

生存ほど、健康に悪いものはない。生存なんかしてるから健康に気を遣ってしまう。

不謹慎だけど、葬式に参列するときは故人に対して羨望すら覚える。

「ああ、お疲れさまでした。本当に、うらやましいです。おれの葬式はいつかなぁ」

してもらえるかわかんないけど

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