けっこう難しくない?
愛されて育った人はみんなそうなのか、私が出会った男の人は「◯◯のこと俺は信用してるよ」て言うけど、
マジで?って毎回思うわけ。
好きってだけで信用できちゃうものなの?それとも、自分に見せられている姿が全てだと思っちゃう感じ?
自分を産んだ人にさえ、あのまま死んでくれたらよかったとか、産まなきゃよかったって言われてきた人間にとってはさ、信じられるものなんて何一つないわけで、
自分の感情ですら、自分で信用できないっていうか、今こう思ってても何年か後には違うこと思うんだろうなって、いまいち信用できないし、何かを決める要素にはなり得ない。
あー今はこう思うんだなって傍観してるに近い。
だから、信用してるって言われると、えっどこを?私なんか信用しちゃって大丈夫?って思うんだよね。
おこがましいというかなんというか。
それをありがたいとか思わなきゃいけないんだろうけどさ。
信じてるって言われると、裏切っちゃいけないような気持ちになる。もしかしてそれが相手の男性の狙いなのかな?
もっと俺のこと信用してよ、って言わせてしまった私と出会った皆さんごめんなさい。
わたしには信じる、の先には、裏切り、があるとしか思えないので、信じるという行為がとても無駄に思えてしまうのです。
この人となら楽しそうだなーダメなら離婚すればいいかと思って結婚したけどやっぱり楽しくなくなって破綻した。
破綻して、やっぱりな、と思った。
輝かしい未来が待ってるとか、一生この人と添い遂げるはずだ、みたいな2人の未来を信じることをしてこなかったから。もしもダメになるのだとしても、それまで楽しく暮らそう、そう思ってた。
そこに私の、相手を信じる気持ち、があったらなんか変わったのかなとも思うけど、結局最後まで相手を心の底から信用はできてなかった気がする。
いつ裏切られてもいいように準備しとく方がよくない?
…なんて考えてるめんどくさい女は私が男でも嫌だなー。
元夫も似たような感覚の持ち主で、私以外の人間を信用しない人だった。だから短い間だったけど結婚しようというところまで行き着けたし、結婚生活もそれなりに楽しかった。
信用してるよ、もっと信用してよ、と言える愛に溢れた人生を送ってきた人がまぶしすぎて、でもそういう人を大事にしなくちゃいけないんだろうなぁ。
信じてる、という言葉を聞くたびに、異世界の住人と恋に落ちてしまったような不思議な感覚に陥る。
信じてる人に裏切られたら人はどうやって乗り越えるんだろう。想像しただけでも恐怖で吐き気がする。
どうか、裏切らないで。私も出来る限りは努力する。先のことはわからないけど、今はとても幸せです。
このくらいで今のパートナーが納得してくれるといいのだけれど。
日本人なのに無常を知らないのか