結論から言うと、ルルーシュに生きていて欲しいという、視聴者(集合無意識)の願い(ギアス)に、世界(スタッフ)がかかった結果が、復活のルルーシュだと思う。
まず、復活のルルーシュはTVアニメ版の続編ではない。新しく編成された劇場版の続編である。
なので、TVアニメ版の反逆のルルーシュは、もうあれから続編はなく視聴者に想像をまかせて終わりというは、復活のルルーシュが放映された後でも変わらないと思う。
TVアニメ版と劇場版の大きな違いはシャーリーが生きているか生きていないか、他にも多分細かいところはあるけど、それだけでまったく違う物語であることが分かる。
自分はそれを、あえて変化させたと思っていて、当初はルルーシュが生存するためのファクターであって、そこが分岐点になるのかなーと思っていたけども、あまり明示的にそういうことは復活のルルーシュでは語らなかった。
むしろシャーリーはほとんど出てきておらず、シャーリーがキーファクターではないことをあえて語ってるように受け取った。
復活のルルーシュを見ていたとき、この違和感はかなり大きく感じた。正直、復活のルルーシュは単体の作品としてはあまり綺麗ではないと感じたし、そもそも立ち向かう敵が弱すぎる。というかルルーシュ陣営が強すぎ、どういう相手が立ち向かっても恐らく物語にならなかったのだと思う。
だから、映画を見ているとき、なんでこんな物語が出来たのかを考えていた。
考えた結果が、一番始めに書いた結論である。コードギアスの物語で、ルルーシュがあわよくば生きていないかという考察や、それに期待したりわくわくしたりする声は多かったのではないかと思う。個人的にも物語としてはルルーシュが死んで終わりというのが、綺麗ではあるがそれとは別にルルーシュには幸せに生きて欲しい。頑張った結果が報われて欲しいという思いがあった。そういう願いが実際に制作陣を動かし、ルルーシュが生きて幸せになる物語が生まれたのではないか。だから、全編撮り直しをしたし、だから若干の変化を仕込み、ルルーシュが生きていて幸せになっていい世界を作ったのだと思う。多分、シャーリーが死んでいたらルルーシュは再度やり直すことができなかったんだと思う。しょうがない…。
なんか、ルルーシュがC.C.に策を預けた理由とか、どうやってあのギアスを攻略したかとか、ラクシャータの妹たち可愛すぎてたまらないとか書こうとしたけど、満足したので終わり。まぁみんなわかってるしいいよね。