田舎の中学で軟式テニスの部活をした。当時は内田良教授もいなかった頃、朝練、昼休み、夕方、土日も当然、がっつり練習した。もともと運動が得意でない割に、練習量でカバーした分が功を奏したのか、中1のときに県でベスト4ぐらいには入った。
ある日、バスケ部の主将(運動得意)が遊びに来てテニスをしていた。全く未経験のくせに、球の弾道がやたらいい。よく観察すると、ボールがラケットの中央にしっかりミートしている。
改めて、自分のラケットをよく覗いてみた。すると、ボールの跡が見事に中央から左上、変なところにだけついていた。私は愕然とした。「これじゃボールを打っても気持ちよくないのでは。。」
そこからは練習が苦痛でしかなくなった。自分でも矯正しようとしたが、どうしようもない。内田良教授が問題提起をしてくれる時代でもなく、技術の無さを練習量でカバーしようとしていたのだろう。しかし、なにしろ練習すればするほどどんどん不快になっていく。
中3のころにはただひたすら苦痛でしかなくなっていたが、田舎の中学で途中でじゃあやめるという選択肢は思いもつかず、最後は県大会で1回戦負けとなった。周りのチームメイトは皆泣いていたが、私は悔しいとも思わず、無駄な日々を過ごしたのではという虚無感に苛まれた。
あれから十数年たち、配偶者とその友人とテニスする機会があった。改めてうまくない。ボールが必ずラケットの左上にあたって、打てば打つほど苦痛であるあの日々を思い出した。
テニスだけが人生じゃない。 テニスが下手でも人間は生きていける。 失望している時間がもったいない。 他のことで頑張れば問題ない。
サッカーのインステップキック練習してる時に、ボールの中心を蹴ってるつもりでも蹴れないのは目の位置と足との距離があるので中心を蹴ってるように見えててもズレてるからって気...